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あまりにも繊細すぎる人

むかしZくんという男の子に会った。Zくんは4歳のアメリカ人。お父さんが研究者/アーティストで、お父さんが東京で講演をするのに着いてきたのだ。

Zくんに初めて会ったのは新宿にある、繭のかたちをした真新しいビルの控室だった。窓の外には新宿のまちが広がっている。Zくんは突然私に話しかけてきた。それは「今日の朝の地震さ、地震ってあんなくらいしか揺れないの?全然大したこと無いね」ということだった。つんとして強がっているのがかわいかった。

彼は繊細で、賢く、人懐っこい子だった。「彼にしかできない役割」をいくつか持っていた。そのひとつがエレベーターのボタンを押すこと。エレベーターで移動をしたい場合、そのボタンを押すのはZくんだ。他の人が押すと「どうしてそんなことをするんだ」と泣いた。

アメリカと日本の時差はけっこうひどい。Zくんは五時に置きて18時には寝るという完全なルーチンができていた。お父さんはZくんの生活時間に合わせなくてはならないので、あまり人付き合いもできないと嘆いていた。

そして、日本食がまったく食べられなかった。米飯も野菜もまったくダメ。味のついたものが食べられない。だからサンドイッチとかもダメで、ホットドッグとか、マクドナルドのハンバーガーからケチャップを抜いて、ソースを抜いたものがギリギリだった。東京でもドトールとかあるじゃない、と思うけど、突発的に来るこどもの食欲に対応するのはものすごく苦労があった。

Zくんはいろいろなオリジナルの遊びを持っていた。電車に乗るとカウンターを取り出して、カチカチと押しては数を増やしていつまでも遊んでいた。

たまに機嫌を悪くしてしまうことがあると、彼は泣いて父親を責めた。彼の希望が叶えられないのは次の予定があるとか、いろいろな事情によってなのだけど、父親がそれを彼に説明しても納得できないようで、「パパなんかだいっきらいだ」と言って泣きじゃくり、小さな手で父を叩いた。

そんなふうにごきげんナナメになることもあるけど、基本的に彼はほんとうにユニークでやさしい心を持っている、特別な輝きを持つ少年だった。ある朝、Zくんに会ったときに、わたしが買ったばかりのストールを指さして「そのマフラー好きだよ」と言ってくれたのがうれしくて、今でも覚えている。

Zくんはそんな風にとても変わった子だったけど、いま考えると、いわゆる感受性が高く敏感すぎる「HSP(Highly Sensitive Person)」だったのだろうと思う。HSPは2000年にエイレン・N・アーロン氏が提示した「敏感すぎる人」という概念。5人に1人はこのHSPだと言われている。

HSPは音や光、そこにいる人間などから必要以上に多くの刺激を受ける。その刺激に圧倒されてしまうので、ある種の壁を障害を人や社会との間に作り、自分を守ろうとする。会社の行事に馴染めないとか、飲み会から突然消えるとか。その壁は普通の世界からは「社会不適合」とか「身勝手」とか「わがまま」とになってしまうんだけど、本人からしてみると命の危険レベルにいっぱいいっぱいになってしまっていて、身を守るために仕方なくやっていることなのだ。

このHSPというのは最近私も知ったのだけど、自分は完全にこれじゃないかと目からうろこがぼろぼろ落ちている。いままでの生きづらさは、わたしの不完全さによるのではなく、このHSPというやつのせいだったのではないか。わたしという人間の基本的な姿は、社会に馴染むための大事な要素が欠落しためちゃくちゃなポンコツ人間である。それは自分の身勝手によるもので、それを治す努力もしないダメ人間なのだと思っていた。

しかしそのどうやっても治らない身勝手さというものが、自分を守るための必死のアクションだったんだと思うと、自分自身に落胆しなくてすむし、なんだかものすごく救われる気がするのである。こういう人、けっこう多いんじゃないでしょうか。興味のある方は是非ぐぐってみてください。


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