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クレープを作る(船を建てる)

5歳の姪がいる。彼女が好きなものは、ピンク色のもの、キラキラしているもの、キティちゃん、そして甘いもの。以前iPadのめっちゃしょうもないアメリカ産のフリーのゲーム「クッキーファクトリー」みたいなやつで嬉々としてお菓子を作っていたので、実際にやってみようということでクレープを作ることにした。

クレープは他のお菓子に比べてあまり手間はかからないが、それでもいくつかの工程がある。姪はどこまで関与したいのかと思い聞いてみると「簡単なとこだけでお願いしたい」とのことだったので工程のうちやりたいところをやってもらうようにする。

それじゃあクレープを作ろう。小麦粉を測って、砂糖を入れて混ぜる。小麦粉に、牛乳と、といた卵、最後に溶かしたバターをそこに入れてぐるぐるかき混ぜたら、ざるで漉して冷蔵庫で寝かせる。そのあいだに、クレープに入れるものを準備する。ホイップは既に泡立ててあるものを買ってある。果物は、桃とバナナとメロンを切っておく。チョコのチューブとチョコスプレー、アラザンとかも用意した。生地については、寝かせたたねを冷蔵庫からだして、ホットプレートでうすーく生地を伸ばして焼く。でもデコレーションするのはまだ。焼いた生地を冷蔵庫にまた入れて冷やす必要がある。そうじゃないと生クリームが溶けてしまうからだ。

焼き上げたクレープを冷蔵庫から出してようやく飾り付け。かねてから「デコりたい!デコりたい!」と熱望していた姪の思いが果たされることになった。クレープの生地をひろげて、生クリームをチューブからブニュ〜と出してバナナをおき、チョコソースをかけたら、色とりどりのチョコスプレーをふりかけて、パタンと閉じる。

クレープは一瞬でお腹の中に入ってしまった。

そうやって作られたクレープは、実際に殆どの制作の工程を担ったのは彼女ではない他の人だが、それは「彼女が作ったクレープ」になる。だがそれに異を唱える人はいない。「それわたしが全部準備して、実際作ったのわたしだから!!すごい感謝してほしいんだけど!!ちゃんとわたしの名前クレジットしてほしいんだけど!!」という人はいない。そういうものだ。

この前Twitterかなんかで見かけた、夏休みでこどもと一緒にいたお母さんの書き込みを思い出した。それは、「今日はこどもと家のなかで丸一日めいっぱい一緒に遊んだ。こどももものすごく楽しんでいて、わたしはへとへと。でもその日の日記を見たら「今日は家にいて超ヒマで何もしない一日だった」と書いてあってショック」というものだった。

わたしも、いまとなってはまったく覚えていないけれど、こうして「わたしがやってきた」と思っていることを両親や周りの人がたくさん助けてくれていたんだろう。それでいて、「わたしがやりました!!」みたいなドヤ顔をひとつもせずに、惜しみなく与えて、支えてきてくれたんだろう。

字が読めるようになったり、一人でご飯を食べられるようになったり、自転車に乗れるようになったり。そういうことは全部自分で覚えてきたようなつもりになっていたけど、周りの人が与えてくれたものだった。歩けるようになって、自転車に乗れるようになって、電車に乗れるようになって、飛行機に乗れるようになって、海の外にも行けるようになった。こうやって一人で立って歩いてどこでも行けるように作り上げてくれたのは、周りの人の支えによってなので、いまのわたしのほとんどは周りの人で出来ているということだ。こどもと一緒にいるとこういうのがわかるのがすごい。

ひたすら与えてなんの見返りも求めない、それが愛というものなんだろう。愛はドヤ顔をしない。もし社会が少しでもこういうもので回っていけばちょっとは良くなりそうだと思うけど、そんな世の中になったらいいですね。



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