逆になんで行けると思ったのか聞きたい

今、過去の自分に「えっ?マジでそれで行けると思ってるわけ?行けるわけなくない?だって根拠がひとつもなくない?可能性がゼロに等しくない?むしろ逆になんでいけると思ったの?」って聞きたい件がある。

わたしは普通に考えると絶対無理な夢というか希望を抱いていた。でもついさっき、溜池山王駅の階段を登っている時に、「あ、それ、絶対ありえないわ。無理無理無理無理。絶対無理じゃん、できないわ」ということにふと気がついたのだ。

それはまるで自転車で月に行くほど無謀な夢だった。どう考えてもできるわけがない。それなのに自分は「絶対できる」と信じていた。

でもふと気がついた。

「あれ?根拠?根拠がないぞ?」

と。

あああっ!!!そういえば!!!根拠!!根拠なんか、そういえばどこにもなかった!!!なんだかよくわからないが「絶対できる」と思っていた。突進するイノシシみたいに突っ走るだけで、何も考えていなかった。でもまあこれがさっぱり実現しないのだ。それでも相変わらず何も考えず、無邪気に「いつかできる」と信じていた。ついさっき、溜池山王駅の階段を登りながらふと気づくまでは。

なぜ人は無謀な夢を見るのだろう。そして勝手に希望を抱いて勝手に失望するのだ。

根拠のない夢を見る者、人はそれを狂人と呼ぶ。

これは、わたしが大人になったということかもしれない。こどもの頃は空を飛べると思っていたし、大人になったら自動的に幸せになれると思っていた。でもそうじゃない。根拠のないことは起こらない。そう気づいた時に、人は大人になって等身大の希望を抱くようになる。

そう気づいた今は、長い夢から醒めたような気分だ。ああ、あれは一体なんだったんだろう。冷静に考えてみると、実現する可能性なんかひとつもなかった。それなのにどうして出来るなんて考えていたんだろう。ぜひ過去の自分に聞きたい。

「それ、逆になんで行けると思ってたわけ?」

いまは長らく抱えていた、なんの根拠もない思い込みから放たれたばかりなので、寝ぼけた眼をごしごしして、ぼんやりと見えてきた現実の世界を眺めている。

根拠のない思い込みは、わたしにたくさんの力を与えてくれた。その力に包まれていると、まるで空も飛べるかのようだった。その力を失った今は、ただ地面の上に立って、高い空を見上げて呆然とするばかりだ。

またわたしは、いつの日か、夢を見ることが出来るのだろうか?なんの根拠もない夢の中で、空を飛ぶような力を得ることができるのだろうか。いまはまったく、そうは思えない。

外は雨が降っている。夏が終わった。

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