母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 4
4.幼い弟妹を連れて、子どもたちだけで
突き飛ばされるように、家の奥に吹き飛ばされ、壁で頭を強く打ちました。辺りが真っ暗になり、気がつくと、周りにいた小さな子どもたちは、みな、『おかあさん、おかあさん』と泣きはじめていました。
しばらくすると、だんだん明るくなったので、一緒にいたはずの弟を探しました。
壁の下敷きになった子、ひっくり返った畳みの下敷きになった子、9歳の力で助けられる子たちを助けたものの、弟はいません。
まわりの人が右往左往するなか、弟を探して家へ走りました。
道は壊れた瓦やガラスが膝の高さまで埋まっていました。
履いていた下駄はいつの間にかなくなり、素足で走るようにして家に向かいました。
途中、馬車が動けなくなり、馬が目をむいてあばれていました。
怪我をした人がみな、幽霊のように手を前にぶらぶらふって歩くので陽子の服は血まみれになりました。
家は大丈夫だと思って帰ってきたのに、手がつけられないくらい壊れていました。
留守番をしていた4歳の妹と2歳の弟は奥のほうで泣いていました。
玄関は下駄箱が倒れ、硝子戸や障子がからんでいて入ることも出ることもできません。
通りがかりの男の人に頼んで、少しのけてもらい、なんとか二人を助け出しました。
幼い妹と弟は『昼に食べるんよ』とお母さんが作り置いていたコーリャン弁当(コーリャンとはキビやモロコシの粉です。米の代用食です。決して美味しくはありませんし、腹もふくれませんが、これしか食べるものがなかったのです)、これをつまみ食いしようとして「みずや」(食器棚)の近くにいたところ、家が崩れたようです。
頑丈な食器棚が柱がわりとなりそのそばにいた妹と弟は生き埋めにもならずかすり傷でした。
そこへ上の弟が帰ってきました。
陽子は分散教室に一歩入ったところで中に飛ばされたのですが、数歩後ろにいた弟はずいぶん遠くへ飛ばされたようです。
幸い、弟も妹も陽子自身にも大きな怪我はありませんでしたが、家の中へは入れず、子どもばかり4人、途方にくれました。
とりあえず、おばあちゃんが出掛けた親戚の家へ行くことにしました。
血が出たと泣く2歳の弟をおんぶし、4歳の妹の手をひき、6歳の弟をつれ、裸足で瓦やガラスの積った道を歩きました。
途中、すすけた顔でよろよろとよろけるように歩くおばあちゃんと出会えました。
そのまま、わけもわからず他の人たちが逃げていく方面へ一緒になって逃げました。
次回【ぶどう棚の下で】へ つづく