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「やりたいこと迷子」が、自分史上最高の天職をつくるまで。

こんにちは!
天職キャリア×幸せ実現コーチ
原田晃帆です。


このnoteでは自己紹介として、私のこれまでのキャリアストーリー、そして想いについてお話しできればと思います。


やりたいこと迷子



「私のやりたいことは、何なのだろう」


遠く離れた異国の地、アフリカ。
小さな村の中で、私はただただ部屋に引きこもって悩んでいた。


暗黒の中学時代、抱いた夢



地元に1つしかない中学校は、しょっちゅう窓ガラスが割れ警察が来るような学校だった。
偏差値は県で一番下。


私は派手な女子グループから容姿をけなされ、いじめを受けた。

4人の仲良しグループからも、1人だけ仲間はずれにされた。

「この世の中はおかしい」と憤りを感じていた。


そんな時、たまたま母親がテーブルに置いていた地球温暖化についての本を読み、「先進国のせいで、全く関係ない途上国が干ばつの被害を受けている」ということを知った。

その「何の非もないのに苦しめられている」という理不尽さが自分の学校での状況と重なり、
「途上国の苦しんでいる人を助けたい」と、国際協力の仕事に興味を持つようになった。

そこから猛勉強の末、県で一番の高校に入り、国際協力について学べる大学に入学。


就活では国際協力業界の選考を受けたものの手応えがなく、力不足を痛感。

まずは社会人としての力を磨こうと、「人材輩出企業」と評判の高いリクルートに入社を決めた


「ダメな新人」から表彰常連メンバーへ



入社したリクルートでは、キャリアアドバイザーとして主に20〜60代の転職を支援した。


入社当初は、プライドが高くて先輩の言うことを聞かず、行動も遅いダメな新人。


気が付けば同期で自分だけが月間目標を達成していない、という状況に陥っていた。


そこで「これはまずい」と感じ一念発起


とにかく愚直に先輩のアドバイスを聞き、毎日限界ギリギリまでがむしゃらに行動を続けた。


その結果、目標を大幅に達成し、部内で毎月表彰されるようになった


さらに2年目には転職成功者数 全社1位を達成し、全社表彰された


ダメな新人からここまで来ることができた、と感極まる思いだった。


翌年からは新しいチームのリーダーを任せてもらい、チームのメンバーも続々と最高成績を樹立


累計担当者数も1000人を超え、もうそろそろやり切ったかなと感じたタイミングで、
当初から抱いていた国際協力の目標を叶えることを決意。

「青年海外協力隊」というボランティアに応募した。



やっと叶えた夢、そして現実


念願叶って、協力隊に合格。


そして意気揚々と降り立ったのが、アフリカだった。


ついに。ようやくここに来た。
これで中学生の頃からの夢が叶えられる。


嬉しさと感動で心が震える思いだった。


しかし、その高揚感は長く続かなかった。


アフリカに行ったら困っている人がいて、私が役に立てると、そう思っていた。


それは、幻想だった。


確かに村の人々はいつも裸足で歩いていたし、風が吹けば吹き飛びそうな薄い屋根の家に住んでいて、経済的に豊かとはいえなかった。


でも、いつもものすごく明るく笑っていた。


「なにしにきたの?俺たち、ハッピーだよ!」


一緒に暮らす家族がいて、家族みんなで笑って。
好きな時に仕事に行って、好きな時にサボって。
仲間と集まってお酒を飲んで。


それが、彼らにとっての幸せだった。



そこで思い知った。

ここに、かわいそうな人とか、助けを求めている人なんていない。

ただ、彼らには彼らなりの幸せのカタチがあるだけ。



「助けてあげる」なんて、おこがましすぎる。
だって彼らの笑顔は、こんなにも輝いている。
今そこにある幸せを、皆で、存分に味わっている。


その姿は、羨ましいくらい眩しくキラキラして見えた。



むしろ…。

日本の人の方が、ずっと不幸そうな顔をして生きてるんじゃないか。
通勤電車で俯いている人々の姿を思い出して、そんな風に思った。


もうここでは、私が役に立つ余地なんてない。


やっと辿り着けた憧れの舞台で、それはあまりに"残酷"な事実だった。


暗い海をさまよう日々


私は、完全に夢を見失った。


私がやりたいことは、何なのだろう。
ずっと目指してきたものは、何だったのだろうか。


ザンビアの小さな村にある小さな家の中に閉じこもって、インターネットで情報を調べまくる日々。


悩んでも悩んでも、中学生の頃から国際協力の道しか見てこなかった私。
答えはいっこうに出なかった


毎日ろくに外にも出ず、暗い部屋にスマホの明かりだけ。
朝からすっぴんメガネのボサボサ髪。
料理をする気力もなく、ストックしたお菓子があっという間になくなる。


自分に自信も持てなくなった。


外では「アフリカに行ったカッコいい人」と思われている。でも実態は、ただ引きこもって悩んでいるだけの怠け者。


カッコ悪い。情けない。


それはまるで、暗く広い海をやみくもに泳いでいるような、苦しくて絶望的な気持ちだった。


それでも私は、私を諦めたくなかった。


これまで、いじめを受けても、ダメな新人になっても、自分の力で乗り越えてきたから。


どこかでまだ私は、私を信じている気がしたから。

もう一度、夢を見つけて頑張りたい。

泣きながら自分と向き合い続けた。




幸せに生きるために大切なこと



そんな中、身内に不幸があり急遽日本に一時帰国することになった。


急な帰国をFacebookで知らせたところ、何人かの友人が声をかけてきてくれた。


その友人たちに会って驚いた。


私が日本人に抱いていた「暗い顔をして俯いている」というイメージとは裏腹に、
皆キラキラした目で自分の夢を語ってくれたのだ。

自分を信じてくれる今の会社で力を発揮したい。
人との縁を大切にして楽しくビジネスをつくっていきたい。
今やっている事業をもっと拡大させていきたい。
日本の将来のために次世代の若者を育てたい。


サラリーマンや会社役員、起業家、フリーランスなど立場は様々だったが、皆、自分だけの志を持っていた。


そこではっとした。



幸せに生きるのに、国や環境なんて関係ない。


自分なりの生き方を、自分の意思で選んで、存分に楽しむこと。

これこそが、世界中どこにいても、人が幸せな人生を送るために必要なことなんだと。



そう気付いてからは、もう国際協力とか海外とか、狭い枠組みの中で考えることをやめた。


人が幸せになるために、私には何ができるのか。
そして、何がしたいのか。



向き合い続けた。



新たな夢、目指すもの



その中で思い出したのが、昔読んだ宮本佳実さんの『可愛いままで年収1000万』だった。


その本をきっかけに調べ、「ワークライフスタイリスト」そして「コーチング」というものがあることを知った。


一人一人の自分らしいワークライフスタイルの実現を支援する。

これだ!と感じた。


そこからは企業でキャリアコーチとして20〜40代女性のキャリアを支援し、1500時間以上のコーチング実績を積んだ。


同時に、宮本佳実さん主催のワークライフスタイリスト養成講座を受講し、ワークライフスタイリストJr. 認定講師として活動するようになった。


キャリアコーチとしてもワークライフスタイリストとしても、
人の想いを引き出し、理想の未来に向けて伴走していくことは本当に楽しくて、
心からこれが「天職」だと感じた。



以前は憂鬱だった日曜日の夜も「明日の仕事が楽しみ」と思いながら過ごせるようになり、
日曜よりも月曜を楽しみに生きるようになった


夢中になってやっていくうちに、
気づけばキャリアコーチとして満足度No.1になり、MVPを受賞した。



ワークライフスタイリストとしても、
オリジナルでつくったメニューがお申し込みが絶えない人気メニューとなり、
SNSの総フォロワー数が1万人を超えるようになった。


そして活動を続けるうちに
「私自身がロールモデルになり、自分らしく生き生きと輝く女性を増やしたい」
という想いが強くなり、

天職キャリア×幸せ実現コーチ
として独立起業した。


独立後は、ありがたいことに
起業2ヶ月目で月収100万円を達成し、
募集メニューは3分で満席
最大半年待ちの人気コーチになることができた。


そして何よりも、

「人生が変わりました」
「やっと人生にワクワクできました」
「晃帆さんに出会えてよかった」

こうしたお声をお客様から頂く度に、
この仕事に出会えてよかった、と喜びが込み上げてくる。


「一人一人が自分軸でキャリアを選び、自分らしく生き生きと輝く世界をつくる」


それが、今の夢だ。



私自身、自分に向き合い、悩みながらそれでも諦めずに考え抜いたことで、新しい夢を見つけることできた。

そして今度は、
より多くの人が自分と向き合い、夢に向かって自分らしく輝けるようにすること。


それが、私の使命だと感じている。




本当に求めていたもの



そう、ここまでが、私の「綺麗なストーリー」だ。


本当は今の仕事と出会うまで、本質的に自分が何を求めてきていたのか分かっていなかった。


私が追い求めてきていたのは、自分の「存在価値」だったのだ。

ずっと「優等生」であることが、自分の価値を示す唯一の方法だった。



中学校でいじめに遭っていたとき、存在を否定するような悪口を言われて辛かったけれど、「優等生」でい続ければ親や先生たちから認めてもらえた。


勉強で良い成績を取ったり作文で表彰されたりして大人たちから褒められた時は、自分に自信が持てた。


結果を出せば、世の中に認められれば、自分自身が「価値ある人間」であると信じられる気がしたのだ。


きっと国際協力を目指したことも、私にとっては「価値ある人間」であるための手段だったのだと思う。


社会に貢献して世間に認められれば、「価値ある人間」でいられる。


だから自分がアフリカで役に立てないと感じた時、
「価値ある人間」としての証明がなくなり、一気に足元が崩れるような思いがした。


そしてそこからも、必死に「社会の役に立てる仕事」を探して
「価値ある人間」であることを示すための手段を追い求めていた。


けれど今は思う。


一番自分の価値を認めていなかったのは、自分だと。


自分で自分を認めない限り、心の穴は埋められず、人への貢献心も自分を満たすための手段となる。


その状態で誰かのためになろうとしても、結局自分も相手も救うことはできないのだと。


だから今は、
誰かのために生きる前に、自分自身のために生きている。


私自身が自分を認め自分らしく生きることこそが、人を照らす希望の光になると思うから。



今、悩んでいるあなたとも、
一緒に頑張りたい。

かつて引きこもっていた私が再び輝けるようになったように、
自分を諦めるには、まだ早い。



さあ、生きよう。


他の誰のためでもない、自分自身の人生を。