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「鬱(うつ)」と「脾(ひ)」に関する話

 35年前の話である。大学の研究室で自らのキヤノン製ワードプロセッサーには、医学変換辞書がなかった。医学変換辞書がなければ、医学用語をひとつずつ登録するしかない。登録しないと使いにくくてしかたがない。病理解剖に関する、自分がよく利用する用語を登録する作業は手間のかかることではあるものの蓄積することによる快感もある。当時のワードプロセッサーには、医学領域でよく使用する漢字すら登録されていなかった。「脾」、「鬱」は自分で作った記憶がある。実習中の学生(今は大きな公立病院の副院長)にも作らせた。今なら完全なパワハラである。漢字を0と1のコードに変えて、ひとつの文字で30分くらいはかかった。教授も同じワードプロセッサーを利用していたので、自作した医学変換辞書と漢字をいくばくかの金銭と引き換えにしようと思っていたら、教授も自ら医学変換辞書を作成していた。そんな時代である。キャノン製ワードプロセッサーが40万円したころの話である。

 そうしているうちに、そのワードプロセッサー用の医学変換辞書がキャノンから発売になった。6万円くらいであった。カセット式のソフトであり、教授のソフトを黙って自分のワードプロセッサーにインストールすることはできなかった。正直申し上げて、大学院生であった私には、極めて高価なソフトであったけれども、すぐに購入した。医学変換辞書を自作している者にとっては、これ以上のものはなく、作成した会社にたいへん感謝したことを覚えている。ワードプロセッサーは中古がでるまで待ったのに、医学変換辞書のソフトは待てなかった。医学変換辞書ソフトを利用する前と利用した後では、全く異なる状況となった。先輩と私は、日本語で学位論文を提出したので、そのときはたいへんにありがたかった。教授が訂正する一字一句に書き直さなくてすむことに感謝した。ワードプロセッサーのお陰とも言えるが医学変換辞書ソフトのお陰とも言える。医学変換辞書ソフトがなかったらと思うと、ぞっとする。指導教授からの言葉が忘れられない。「梅澤くん、昔は教授から直しが入ると毎回書き直してたんだからね。君らは楽だよ。」こちらの感想は、「そんなことを言うなら毎回直すなよ。」今から思えばよく読んでいただき、直してもらったなと思う。自分は大学院生に言うのは「いいんじゃないの。字の間違えをコンピュータでチェックしておいてね。」

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