天ゼミフィールドワーク富山最勝寺写経②佑季


振り返って感じた事を書いてみる続き。

私は、幼い頃から日本家屋の作りや古い建具が好きである。お寺の本堂には何時間でも居られる気がする。広い空間に必要な物だけが必要な場所にある。
今回写経をさせていただいた空間も、スッキリと整っていて、写経をする前から既に自分の心まで整っていくのを感じた。
写経に入る前に谷内和尚から般若心経の解説を伺った。「空」の本当の意味するところが初めて分かった。(これは正しく記憶できていないかもしれないから、実際に聞いてみてほしい)
今まで何と無く、分かっているようないないような感じがしていた事が、スッキリと整理されて頭の中に入っていった。
空(そら)と鳥の例えで、空全部が鳥なんだというのがわかりやすかった。
「私」は私だけでは成り立っていなくて、例えば空気や重力や床や諸々全ての条件的なことに支えられて存在している。だから、それら環境も含めて私となる。
となると、私と別の人や物との境界線てどこだ?ってことになる。みんな溶け合って交わっているんだと思う。
だから、反発せず、抵抗せず全てを受け入れて味方にしてリラックスした方が現実が上手くまわるのだろうと思う。

整った方から発せられる言葉は、澱みが無く、矛盾が無く、言行一致していてとても気持ちがいい。
そんな整った場所が居心地よく感じられ、気持ちよくそこに居られるのだから、私も整ったひとにいずれはなれるのかなと少し期待できた。

余談
父は美術教師であったため、仏像を彫っていたり、お堂の観音様をまじまじと見入っていたりした姿も思い出した。行き慣れた場所ではない空間へ入ると、フッと普段思い出すことの無い感情や記憶が蘇ってくるものだ。それも、フィールドワークの良さなのかも知れない。


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