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地味に引っかかる禁止語

昔は「ここからの会話で英語は禁止!言ったら罰として〇〇」とかいう遊びがありましたが、いまどきそれはすぐに引っかかってしまう。というのは日本語訳を作る努力を怠り続けて会話しようがなくなる話題が多すぎるためである。ということで、別の禁止語一覧を作ってみる。

部分

「〇〇という部分があるので…」とかいう説明をよく耳にする。なんでもかんでも「部分」である。

「〇〇という点がある」なら、例外的なものなど一つ例を挙げている、「面」ならば違った面、反対側から見て、「線」なら方向性、「意味」なら見えてないところ、などいろいろ別な言い方がある。

「部分」となれば、その全体に対する大きさも位置づけも不明瞭、雑な言い方ではなかろうか。

ヤツ

「じゃあ赤い奴ください」とおっしゃる、本望でないガラクタを仕方なく選ぶならともかく、高級品を頼むときまでその言い方はいかがなものか。

しゃべってる人は多分、あんまり意識していないのであろうが、文字に起こすととても違和感がある。「奴」と呼ばれる対象物、もう少し丁寧な言い方はできないものであろうか。単純に選んだのなら「赤いの」でよかろうし、どっちかで決めてたのなら「赤い方」でよかろう。

カタチ

「お昼は日替わり定食だけというカタチで営業させていただいています」とかいう表現、あなたはどう思って営業しているのか。

「こんなことで報酬は受け取れない」「では交通費というカタチで」というやりとりならわからないでもない。仕方がないので形式上別の手立てで行う、「というカタチで」表現。

なので、お昼は営業したくないけど仕方なくお題目を上げて店を開けているのか、「日替わり定食だけ」ということで営業を許可されているが実は違って頼めばなんでも作ってくれるのか、定食屋は仮の姿で奥で違法カジノでも開いているのか、何なのか、そう勘繰りたくなる表現。

思ったようにできているなら既存のカタチに嵌めているわけではなかろう、単純に「というカタチで」は抜けばよい。

~という風に思う

「次回までには対策を立てておきたい、という風に思うので」の「という風に」に何の意味があるのか。うまく表現できないな、という時もあるかもしれないが、すべて「という風に」ばかりだと、もやもやとすべてが空虚に思えてしまう。

他人の考えを想像しているのではなく、自分がそう思ってるのだから「いう風に」は抜けばよい。

まとめ

そういったカタチでのヤツもあるという風に思う部分もある。