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情熱の置き場所

情熱は置き場所が大切なんだと思う。

人それぞれ、情熱の在り方、情熱の量、情熱の傾け方が違っている。

ただ情熱を持てば良いと言うことではなく、情熱には「呼応」が必要だと思うのだ。

自分自身の情熱に呼応しない情熱への追随は、誤った方向へ自身を導く恐れがある。

情熱の在り方、量、傾け方、色、感触を決めるのは、その保持者の人格でしかないと思っている。
一見、外から見た情熱がとても大きく美しくきれいに見えても、その情熱に触れてみて初めて情熱に違和感を感じることもある。

外から見ただけではわからないし、情熱に触れ、感じる時間もある程度必要ではある。

誤った情熱に気づかず、その熱にほだされてしまったまま、その違和感を受け入れ、妥協しながら生きている人も多いのかもしれない。
間違った場所に置いた情熱は、間違った熱を帯びて、間違った色、間違った量、気分の悪い感触になる。
自分自身の内なる情熱と呼応するかどうか。見定めなければない。

そして、呼応する情熱の側に自分自身の情熱を置くことが大切だ。
呼応する情熱はお互いに影響しあってより大きな情熱を生みだす。
それがたくさん集まれば大きなうねりとなっていくだろう。

呼応できる情熱の置き場所こそが、ライフワークとなる仕事、いるべき居場所になるのだと思う。

火は揺らぐもので、一所に同じ形を留めず、常に変わり続けている。自分自身の情熱も同様に変わり続ける。

ずっと情熱の置き場所を探して生きていく。