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前進

「私○○だったよ」
夜に母からラインがありました。

ずっと原因不明の不調で、一時期は診断も出て、薬も出ていましたが、
一向に回復せず、悪くなるばかりでした。

でも日や、また一日の内でも今はいいとか症状もばらばらで、 
一見すると「鬱なんじゃないか」とか「怠けてる。我慢が足りないんじゃないか」とか、、思われて(特に父は自分が強い人なので)かなりメンタル的にもギリギリでした。

転院したり幾つもの検査をした結果、ようやく病名が分かりました。
手術を必要とするものがひとつ
難病指定のものがひとつ

余命が…とか、今すぐ…とかいうものではありませんが、
確実に生活や行動は変わり、一生付き合っていくものとなると思います。

怖がりの母は、痛みやわからない不安がずっとあり、
またわかってもらえないという事もあり、
ストレスも恐怖も大きかったと思います。

だから病名が分かったこと、とりあえずどうしていくか方向性が見えた事で
落ち込むというより、スッキリした感じにみえました。

何を病院で聞いたらいいか、これから何をしていったらいいか、
自分で判断できる(今までは病院に行っても何を聞いたらいいかわからなかったし、日常生活でも何をしたらいいかわからなかった)

まあとりあえずは何もかわらないのだけど、
前向きに話をしている姿を見て
私も(病気であることは置いといて)とりあえず一安心しました。

「今までやりたい事は全部やってきたから、あとはしんどくないようにしたい」と
「もう見れなくなるかもしれないから○○に行こう」と毎日うるさい父の誘いをサラッと断っています💦

我関せずだった父ですが、この半年、大きな病院で一日かかる検査ばかり、毎週何回も、毎回付き合い診察室にも入り(話は聞いてなかったらしいですが💦)
それだけでもすごい変化で(今までなら絶対にありえない事)
娘としてもこの先は夫婦で乗り越える準備はできたのかなと思えました。

毎日実家に帰宅していた次女にもついに鍵を持たせ、
かぎっ子デビューをしました。

留守番させるタイミングが分からなく、先延ばしに過保護にしてきましたが、私にとってもタイミングかなと思い、次女からもいろいろ手放していこうと思いました。



ここまで読んでいただきありがとうございました!

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