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続かない、稼げない、コンプレックスなヘンテコ経歴 Vol.2社会人独身時代編

前回の学生編の続きです。


ここからが本題。
社会人編です。


働き方としては正社員、フリーター、派遣社員、開業(の手伝い)等。

職種は調理師、接客、モデル、カフェ店長、コールセンター、事務等。


自分に合った仕事を探すのが下手くそすぎて、何をやっても続かない、そして稼げないコンプレックスを抱えながら生きていた時代の話です。
もしかしたら読みながらイライラするかもしれません。

興味のあるもの好きさんだけ読んで下さい・・・



社会人になってからの私


東京で調理師

2009年。専門学校を卒業し調理師免許を取得。
地元の福岡を離れ、某空港のレストラン会社に洋食の調理師として就職しました。

そこで最悪の事実に気づきます・・・

「私、料理そんな好きじゃない!」

家で自分のやりたいように作る料理は好きです。でも流れ作業のように作る料理は全然楽しくありませんでした。誰かが口にするものを作っているという感覚も無くなって、私は今料理を作っているのか?何かの部品でも製造しているのか?とよく分からない感覚で仕事していました。

さらに、調理業界は男の世界。最初の店舗ではセクハラ、女性軽視は当たり前。次の店舗では始発~終電までの長時間労働、20kg超えの食材を運ぶ力仕事、上司からの罵声。心も身体も日に日に病んでいきました。

その次は国際線の新店舗の立ち上げを任せてもらい、忙しかったけどやりがいは感じました。麻布十番の有名店のフランチャイズ店だったので、作るメニューは以前の店舗と桁違いの高クオリティなものばかり。オープンキッチンでお客さんの顔を見ることが出来た為、部品を製造している感覚もなくなりました。笑

そして初めて調理の仕事に楽しさを見つけました。

美しい盛り付け!

これまでの店舗とは違い、盛り付けも凝ったメニューばかりでした。自分の手で料理の見た目を美しく仕上げる作業はとても楽しかったです。率先してデシャップ台に立ち、誰よりも美しい盛り付けを意識して作りました。

そんな時、2011年東日本大震災が起こりました。

海外からの旅行客ゼロ。旅行者も激減。会社の業績ガタ落ち。もともと少なかった給料が更に大幅減。
いろいろ考え、3年近く勤めたこの会社を辞め福岡に帰ることにしました。



読者モデル活動をしながら貧乏フリーター生活

2012年。福岡に帰ってきてからは実家に帰ること無く、博多で一人暮らしを始めました。
この時やりたいことは特に無く、適当にアルバイトをしながら仕事探そうと最初に始めたのがパン屋さんのオープニングスタッフ
前職が調理師で新店舗の立ち上げも経験しており、学生の頃のバイトがパン屋さんだったこともあり、バイトリーダー的ポジションに就きました。

そして夜はスナックでバイト。人見知りで人と喋ることが苦手なので、あえてがっつりと接客業を経験し克服しようと思い、この仕事を選びました。しかしそう簡単に克服できるものでは無かったです。苦手なものは苦手。でも人前で歌ったり、当時ハマってたダンスを披露して場を盛り上げるのは楽しかったです!

ある日パン屋さんのバイトを終え、スナックのバイトへ向かっている途中「読者モデル募集」というポスターを見つけました。吸い込まれるような感覚でした。ポスターはキラキラと輝いて見え、学生時代からファッション雑誌が大好きだったので思い切って応募してみました。
書類審査が通り、オーディション、面接と進み、奇跡的に合格。
今思えばよくこんな芋女採用したな・・。と不思議でなりません。毎日総額1万円以下の激安コーデ。お洒落の知識も美容の知識も底辺でした。

そんな芋女が突然読者モデルとしてデビューしてしまいました。
読者モデルというと聞こえは良いですが、プロのモデルではありません。中身はほぼボランティアでした。
でも活動はとても楽しく、自分自身の成長のチャンスだと思ったので、ちゃんとした職に就くことなく融通の利くフリーター生活を続けることを決意しました。

周りの読モ友達が有名ブランドの服にデパコスを身にまとっている中、私は少ない給料で高いブランド服やコスメを買う余裕は無く、いつもプチプラのクソダサな恰好をして活動していました。当時の写真は恥ずかしすぎて見れません・・・涙

なんとか他の綺麗な子たちと違うところで強みを出せないか・・と考えブログやSNSでの活動を精力的に頑張りました。FacebookとTwitterは頻繁に更新、ブログはほぼ毎日更新しました。そしたらブログは読モ全20人の中ほぼ毎月アクセス数1位。Twitterのフォロワーも増え、こんな私にも応援してくれるファンが付いてくれました。

読モの任期は1年間。短い間でしたが様々なことをやらせて頂きました。
月2回のレッスン、雑誌・カタログ・ホームページ等の掲載、ファッションショーやイベント出演、テレビやラジオ出演、福岡の人ならおそらく知ってるであろうあのソ〇リア大画面にも頻繁に出ていました。全国区の有名なモデルさんとも一緒に仕事をしました。

人生の中でも最も充実した、刺激的で楽しかった1年間でした。



アルバイトを多数転々とした後アクセサリーの販売員へ

読モを卒業した後も、有難いことにサロンモデルやストックフォトのモデル、観光系のホームページのモデル等、細々とモデル活動を続けていくことができました。
モデルの活動は本当に楽しくて、やりがいも生きがいも感じていました。

パン屋とスナックは辞め、時給の良いコールセンターで働きました。しかし喋ることが苦手な私が続くはずもなく、半年ほどで辞めました。でもコールセンターでタイピングの技術はかなり身に就きました。話を聞きながら文字を打つ作業は今でも得意です。
コールセンターの傍ら、イベントコンパニオン、ホテルでのサービススタッフ、スーパーで試食を配るアルバイトもやってみました。全て2回程行ってすぐ辞めました。笑

1年間の読モ活動後、芋女からちょっとだけ垢抜けた芋女になった私は女子のお洒落に携わる仕事がしたい!と思うようになり、天神のド真ん中のお洒落ビル内のアクセサリー店で働き始めました。
アクセサリーのコーデを考えるのはとても楽しかったです。またここでも店舗のブログの更新を率先してやりました。
しかしまた邪魔してくるのが人見知りでお喋りが苦手な自分の性格。これを読んでる人には、いい加減接客向いてないこと気づけよ!って思われてそうですが、当時の自分は「まだきっと克服できるはず!」って思っていたのです。
でもやっぱりそう簡単に克服はできませんでした。スタッフごとに売上の成績を付けられるのですが、私はいつも下位。結局この仕事も1年半程で辞めました。



カフェ開業のお手伝いで店長に

はい、ここから私の人生最大の黒歴史が始まります。

アクセサリー店を辞めたいな~と思っていた頃、当時仲良かった飲み友達から「コンセプトカフェを開業するから店長やらない?」と声をかけて貰いました。
元アイドルや芸能界を目指している女の子をスタッフとして集め、毎日プチイベントを開催する、オタク向けの楽しいカフェを作りたいといった内容。

実は当時私はAKB48等の女性アイドルオタクをやっていました。併せて調理の知識があり芸能もちょっとかじってるとのことで是非私に任せたいと言われました。
何それ楽しそうじゃーん!と思ったのと、私を頼ってくれたことが嬉しくて、深く考えず「やる!」と返事をしてしまいました。

やると言ったもののオーナーである友達は知識ゼロだった為、メニュー開発・スタッフ集め・食材や備品の買い出し等ほぼ一人でやりました。大変だったけど楽しかったしいい経験になりました。

オープンしてすぐは客足は伸びませんでしたが、少しずつ常連さんが増え、良いお店だね!と褒めてくれたりSNSで口コミを見つけるととても嬉しくて幸せを感じていました。

勘の良い人はお気づきかと思いますが、ここでも邪魔したのが私の性格。
今回不思議とお客さんに対する人見知りはほぼしませんでした。
ダメだったのがスタッフやオーナーとのコミュニケーション。
人をまとめるようなリーダー的ポジションは初めて。臆病な私はミスをしたり良くない行動をしているスタッフに対して叱ることができませんでした。オーナーからは「それは店長の仕事だからしっかりやって。あなたがしっかりしないとまとまらない。」と言われ板挟みに。

仕事は楽しかったのですが、日に日にストレスで体調がおかしくなり半年程で辞めました。

この時はさすがに自分に絶望しました。
何をやっても上手くいかず続かない。
お金を稼ぐ能力もない。
大学出てないからいい仕事に就くことすらできない。
私は社会不適合者だ・・・。

周りから、なんか変な事業に手を出して失敗したやつ、ヘンテコなカフェやってすぐ辞めたやつ、仕事を転々としてすぐ辞めるやつ、というレッテルを貼られたような気がして、この後自らいろんな友達と距離を置いてしまうようになりました。周りはきっとそんなに気にしていないはずなのに。

しかし良いこともありました。この頃福岡のアイドルオタク界で変に私の名前が知れて、読モ時代の数倍のファンがついてくれました。今でもSNSで私のことを「店長」と呼んでくれるファンの方もいます。笑


事務職、そして結婚

ここでようやく、自分に向いていない仕事が分かってきました。
接客からは離れようと、派遣で短期の事務の仕事を始めました。
毎日同じ人と顔を合わせ同じことの繰り返し。仕事内容は楽しいものでは無かったのですが、苦ではありませんでした。今まで立ち仕事やハードな仕事が多かったので、1日中座ったまま沢山の人と喋らずお金貰えるなんて最高!と思っていました。

この時、今の夫であり当時遠距離恋愛をしていた彼氏と結婚する流れになり、彼の働いている神奈川県へ引っ越すことになりました。



結婚後編へ続く。

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