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GR3を買うことにした件と、被写界深度の話

ここ半年くらい悩んだけど、やっぱりGR3を買うことにしたよ。
界隈では“買い戻し”って表現するね。
だって以前、GR3x持ってたから。
自分は馬鹿だな、って思うよ。
12万もする高級コンデジを2回も買うなんて。

でも“あの写り”が忘れられなかった。

この何でもない、泉七北田公園に咲いていた花だけど、ただ何気なくスナップしただけだけど。うーん、何かが違う。
このGR3で撮った写真をプレビューするたびに、ため息と後悔が出る。
特に現像したわけでも無く、普通にJPEG撮って出しの写真。
ただ“ああ綺麗だな”というわけでも無くて、なんていうかこの時、
子供と遊んだな、っていう思い出と一緒に、気温、匂い、全ての感情と記憶も
同時に呼び起こされるような気がするんだ。
空気感まで取り込んでいるような。いや、ただの思い込みかも知れないけど。

近所の桜と、雑草w  
こ写りをX-E4で表現しようと思ってもなかなか出来ない。
富士フィルム機で撮影すると、どうしても“フィルム感”の要素が強めに出てしまう。

これはX-E4とxf35mm f1.4で撮ったもの。
決して嫌いでは無いよ。けど、たった1年間サブで所有したGR3と、3年間メインで使い込んだ富士フィルム(x100vとX-E4)では撮影枚数が8:2くらい比率差があるから、富士機の画像に見慣れ過ぎたんだ。
だから過去の写真一覧をプレビューしていて、富士で撮った写真の合間合間に,
ぽつっとGR3の写真が出てくるとピタっと手が止まってしまう。
見惚れてしまう。
この違いを友達に相談したんだけど、“全然わからないっすw”
だよね。たぶん撮った人にしかわからない。
すごく個人的な問題なんだ。

自分が好きな写真には理由がある。

その写真を撮った“瞬間”の記憶までもが“好き”だという事。
負の感情を持った写真は、どんなに写りが良くても好きにはなれない。

カメラで撮影した写真には、“絵”だけじゃ無く、“感情”までも、同時に取り込まれているものなんだな、と理解した。

ただここで大事なのは“感情”だけではなくて、“画質”もそれなりに自分の納得いく物でなければならない、ということ。

GR3で撮った写真に、自分が好きな写真が多くある理由はわからない。

けれど“絵”と“感情”を上手に取り込むことは確実だ。


もしかしたら、カメラがコンパクトだから、いつでも気軽に持ち運べる点と
ほぼオート撮影だから余計な邪念と煩悩が無い“自分の素”の状態で撮ったのが良かったのかな。GR3はAFがよわよわだから、後半はスナップ距離優先モードでばっかり撮ってたから、尚更である。

もう一つは被写界深度。
Exifも見てるとスナップ距離優先モードで、F値は5.6から11くらいまで結構絞り込んでいる設定になっていた。
これがGR特有の“パキッ”とした写りの理由なのかもね。

富士フィルムだとクセで、開放がどうしても多くなっちゃう。

これはxf18mmのf2開放で撮ったもの。

これはf6.4。
うん、悪く無いw
こうしてみると富士も悪く無い。

被写界深度、というか絞りの設定は大事なんだな。
カメラを始めたころ、絞り優先モードで!みたいな解説書が多くてそれにかなり影響されちゃってたんだ。ついいまの今まで。
開放だけが正義じゃ無いってことに気付かされました。
レンズの性能は絞り込むことで、より発揮されるってことだね。

これはxf18mm f2で。

sony RX100もあるから上記理由にあるコンパクトさという点では、それも好きな写真になるのでは?
という理屈になるけど、画質という点では圧倒的に敵わない。
1インチセンサーは柔らかくてすごく好きなんだけど、白飛び黒潰れが多くて、raw現像しても撮り損ねると戻って来ない。
だから外用というか、ほぼ室内用になってる。

RX100で撮ったもの。
悪く無いけど、甘々な気もする。f2.8
地平線が滲んじゃってファンタジーな雰囲気。


その画質と機動力のバランスが最大限に発揮されてるのがGR3なの。
先人たちがとっくに気づいてる、このポイントに、今、自分も気づきました。

GR3が届くまで2ヶ月。
ちょっと昔の新車の納車待ちと同じくらいだね。
今は新車だと半年、一年待ちとか当たり前みたいだけど。

クリスマスの頃には届いているといいな、
と思います。

それではまたニャ

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