バセドウ病は静かに近づいてくる④

思いもよらず突然の母との別れ・・・。

母もまさか自分が死ぬなんて思ってもいなかったことが想像に難くないことは、この僕でさへ痛いほどわかる。

現実を受け止めるまではただただ茫然としていたが、ここでも変にしっかりとしなければいけないと思い、崩れる親族を前に僕はというと涙は見せずに毅然とした態度でいたのだと思う。

泣き崩れてしまえばよかったよ。

でもできない・・・。
こういう態度というか性格的なものがバセドウ病を呼び寄せてしまうことを今になって、ものすごく感じるよ。

時間が過ぎ、母の葬儀等一連の行事的なことが取り合えず片づき始めたころ、続けざまに次は仕事上の役割をしていた主催者の代表が僕の目の前で倒れてしまった。

脳梗塞・・・。

まだまだ生暖かさが残る10月のことだった。
主催者の代表はその後1年余り療養施設で過ごし旅立っていった。

翌年の新年度、バセドウ病を引き起こすカギとなっていた仕事上の役割期間である2年間を終えた。

それまでの2年間は日夜24時間監視されているような状況だったが一転、新年度から僕は、その意味で自由になれた。

ある程度自分に使える時間も増え、今後の仕事についても戦略を練ったりと濃密かつ楽しく過ごせる時間が多くなっていた。

そんなある日、同業者から一緒にチームを組んで、とある仕事をしていかないかとの依頼が入った。

願ったり叶ったりの依頼に僕は二つ返事で了承したのだった。

依頼の内容というのは、とある団体に赴き、まずは業務上携わっている事例の”現在の世の中の流れ”を説明する内容というのが取っ掛かり仕事の一番のテーマだった。

僕が受け持つ説明の順番が回ってきた。

初めての団体に赴いたこともあり多少の緊張はあったものの、説明の内容というのは日常的に挨拶のように使い慣れている内容にもかかわらず、いざ話始めようとした途端、言葉が出てこない・・・(汗)
同行した同業者の仲間にキーワードを促され、ようやく説明をスタートできた。

僕の受け持った内容はボロボロに終わった。
自己嫌悪に陥り意気消沈した・・・。

失敗に終わった僕は、このプロジェクトから去った。

今から思えばバセドウ病の症状の一つに”記憶障害”という症状の可能性があるようだ。
このことを僕は2ヶ月後知ることになる。

一方、この時期の僕の体形というのは平常時の体重が72~3kgだったが、この時は60kgをもう少しで下回ろうとしていた。
おそらく半年くらいで10数キロ体重が減り、体に何かしらの異常をきたしていることは素人の僕でも容易に理解できた。

だけど病気知らずで50歳前後まで来たし、まして病院なんて大嫌いだったので、家族の”検診行ってください”との忠告にも聞く耳を待つことが出来なかった。

何より病院で、ひょっとしたら癌なんて言われたら・・・
想像しただけでも足が遠のいていた。

今から思うと自分本位でなんて弱い人間だったんだろう・・・と思うばかりである。


次回、『バセドウ病は静かに近づいてくる➄』からは本格的な現在も続くバセドウ病についての話が始まります。

初めから”バセドウ病の話をしろよ”
とのお叱りの声が聞こえてきそうで恐縮ですが(汗)、バセドウ病を発症する以前の状況も僕にとってはすごく大事な内容だと思いましたので書かせていただきました。

後々読み返してみて書き足りないところは時機を見て加筆・編集等徐々に自分なりの精度を上げて仕上げていけたらと思っています。
これからも末永く緩くお見守りいただけますと幸いです!



「バセドウ病は静かに近づいてくる➄」 へ続く!








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