ガバガバ中退就活記

ようやく就活が終了したので連々書いていく。

受けたところ

A社 : 日本企業。中退した先輩がいる。
B社 : 大手日本企業。
C社 : 外資系。中退した先輩がいる。
D社 : 大手外資系。

1-3月

中退することを考え出す。
国際学会に1本も通していないので、慌てて就活に向けて実績を作ることにした。
当時研究室でPS4版のOverwatchが流行っており、これをマウスでプレイしたかったためコントローラーのハックをして記事にまとめていた。履歴書にこれを書いていたのだが正直プラスなのか怪しすぎる。

それと同時に受ける場所へ履歴書を出し始めた。気が付いたらD社はエントリー締切を過ぎていた。流石にこのミスは落ち込んだので、カレンダーにちゃんと予定を書き込むようにした。

4月

D社をなんとかしてエントリー出来ないか考える。エントリーページには連絡先も載っていなかった。新卒採用締切の約一ヶ月後にインターンの募集が始まる事に気が付き、これにエントリーした。おそらく新卒採用とインターン採用のフローは似ているからワンチャン乗り換えられるかも知れないし、インターンに通って高評価であれば新卒面接をしてもらえるかも知れないと考えていた。

B社は大学から推薦枠があったのだが、中退見込みだったので就活担当の先生に相談して先に企業側に中退する旨を伝えて貰っていた。なお、この頃にある企業説明会的イベントは実質一次面接なのでちゃんとエントリーしましょう。推薦枠向けのイベントだったのでエントリーしてなかったのだが、連絡が来て締切を過ぎてからエントリーした。(一生締切をすぎる)

B社の一次面接改めジョブマッチング。多対一の説明会かと思ってたらガッツリ面接が始まってびっくりした。面接官は2人で共に技術者。正直日本企業という場所は技術者の肩身が狭く優秀な人もあまり居ないイメージがあったのだが、ことB社に関しては面接官は極めて優秀でしかも比較的自由にやれているという。みなもすなる就活といふものを、我もしてみむとてするなりという気持ちで応募していたがかなり入りたい気持ちが高くなった。

翌日に非通知から電話が入っていた。最初出ていなかったがもしやと思ったので次に掛かってきたときは受けた。B社の一次通過のお知らせだった。就活時期は非通知の電話を取りましょう。

A社の一次面接。無事に通る。

C社のエントリーとウェブテストをやる。通る。

B社二次面接。面接官は人事の人が居り、懸念していたがやはり技術者の人との面接ほど話が噛み合っている気がしない。
少ししてB社から連絡があり、今受けているのと違う部署の方が向いていると思うのでそちらともう一度面接して欲しいとのこと。

またB社の一次二次面接を受ける。落ちる。

いや4回面接する前に落とせやと思ったが、あとから考えると僕は面接中僕自身と研究室のネガキャンしかしていなかったので落ちるのもやむ無しな気がした。

5月

D社のオンラインテストに通り電話面接。そこでしれっと新卒枠に変えられないか頼んでおいた。

A社の二次面接。大学の成績表と新幹線の領収書を忘れる。任意の企業に対してガバをしている気がする。その後、無事内定を貰い一安心。中退する旨を伝えていたため、10月から入社出来る事になった。内定を受ける期限は明確ではなかったが入社の一ヶ月前には知らせて欲しいとのことだった(それはそう)。

6月

D社からずっと連絡が無い。人事の連絡先(電話番号、メールアドレス)も通じ無いのでサイレントお断りなのかと思っていた。

C社のオンサイト面接。大阪から東京まで朝から新幹線で向かうことにしていた。博多行きに乗り間違える痛恨のミス。「全く同じ時間の同じ駅から出る新幹線」は一意ではないので気をつけよう。しかし、僕はオンサイト面接の時は早めに行って近所の喫茶店で時間を潰す習慣があり、かなり余裕を持って行動していたのでギリギリ間に合った。
なお肝心の面接はボロボロだった。あまり体調が良くなかったのもあるが、コーディングインタビューの対策をすべきだった。

7月

C社に落ちる。順当。

完全に諦めていたD社から連絡が電話面接通過の連絡が来た。しかも新卒ルートに変更してもらえた。次はオンサイト面接で予定を教えて欲しいと言われたので、対策時間を確保するために許される中で出来るだけ先延ばしにした。時間は朝早くにすると昼休憩を挟んで御飯が食べられると聞いたのでそうして貰った。御飯以外にも面接をぶっ通しはかなりしんどいことが予想されたので休憩を挟む意味が強かった。

結果的に2,3週間ほど時間が確保出来た。100時間ほど勉強した。友人に何回か練習に付き合ってもらってフィードバックをもらう。正直これがなかったら通ってないと思う。

なおこれまでの反省を活かし、自分のネガキャンをしないように心に誓った。また、この時点でD社に中退する旨は伝えていなかった(履歴書には院に所属していることを書いていないので嘘ではない……)。誠意が足りないが、落ちて中退が良くなかったのかと後悔するのが嫌だったので、通ってから中退すると言うことにした。

オンサイト面接当日。緊張であまり眠れなかった。かなり早めに着いてオフィス近くの喫茶店で時間を潰していたが、この時には緊張で吐き気すらしていた。準備をするとそれに比例して緊張するようだ。
面接を受ける頃には吹っ切れていてリラックスして受ける事が出来た。完璧とは程遠いが悪く無い出来だったと思う。直近の100時間の勉強も大きかったが、学部時代の2,3000時間があったから今があるのだなぁと感慨深く思っていた。

帰りの電車の中で面接の通過通知が来た。早すぎるだろ。

8月

最終面接を通ったので内定!というわけではなく、そこからいろいろと面倒な処理がある。僕に出来るのは待つだけなのでひたすら遊んでいた。

最終面接からおよそ3週間後、全行程を通過した。

これから就活する人へのアドバイス

履歴書は先生や友人らに見てもらおう。もし英語面接なら英語が堪能な人に変な表現が無いかチェックしてもらうべき。僕は最初hardとhardlyを間違えており逆の意味になっていた。

コーディングインタビューは黙っている時間をなるだけ少なくすることを意識して練習した。また、多くの場合わざと曖昧な問題が与えられるので、きちんとそれを具体的な形で定式化する練習をした。競技プログラミングとコーディングインタビューは共通する部分も多いが異なる部分も多いので、きちんと対策しよう(実装が苦手な人は特に!!!!!)。

英語をやれ!!!!!!!!コーディングインタビューは少なからず英語なので死ぬ。僕のTOEICは495点なので実はそこまで重要視されていない説があるが、上手く喋れないからといって黙るのは辞めよう。間違ってたり単語だけでも良いのでひたすら喋る方がまだマシ。僕は単語がわからない時に絵を描いたりしていた。

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