執筆後記 [短編小説] 京終 瞳は、きっと大丈夫。について

 読んでいただきありがとうございました。

 「六月」をテーマにして話を考えはじめました。そうすると、雨の日の放課後に教室で一人、本を読んでいる生徒が思い浮かびました。
 その人はどんな人だろう?
 そこから話を広げていきました。

 作中にも言及されているテーマ『本を読む意味』についてですが、人それぞれの哲学があると思われるので、あくまで作中の見解は一意見だと思っていただければ幸いです。
 執筆を続けながら自分の記憶を遡っていきました。
 高校生の時に学年の連絡事項を報告するプリントが配られていて、その中に図書室で本を借りた人の名前とその人が借りた本の冊数が記されていて、ランキング付されていました。(こういうプリントって今でも配られたりするのでしょうか?)
 私のクラスに一位の人がいました。つまり、学年で一番、図書室で本を借りた人がいました。
 しかし、クラスの中に、その人を馬鹿にしている人がいました。
 「本当に借りた本読んでるの?」とか「何で本なんか読んでるんだ?」みたいな空気があって、実際に口に出してる人もいました。
 本を読んでいる人。本を読まずに揶揄する人。
 ”あの教室の空気”は一体なんだったのだろうか?
 当時は、この出来事を深く考えてはいなかったのですが、今回、この自分
の記憶について考えてみたくなりました。
 それが今作です。

 作中のキャラクターの京終きょうばて ひとみは、モデルがいるわけではありません。ただ『本を読んでいる人』というのは、ロックなイメージがあるので、一般的な読書家のイメージとは真逆のキャラクターにしました。
 作中の登場人物の名前などはフィクションです。

 梅雨の季節が本格化する今日この頃。
 雨の日に、読書を楽しんでみるのはいかがでしょか。

 お付き合いいただきありがとうございました。


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