自分の一部を喪うということ


自分のことを可愛がってくれたただ一人の親戚が死んだとき、激しく泣いた。訃報を見てそのときのように涙が溢れて、どうしたのと声をかけるパートナーに何も言えなかった。
ご冥福をお祈りします、ただの挨拶であるその言葉さえ、彼を過去のものにするようで、胸が詰まって出てこない。こんなニュースで顔を見たくなかった。嘘であるように願った。

人生に常に坂本の曲が近くにあった。

坂本との出会いは父の書斎だった。著名なEnergy Flowの作曲者だったと知っていたが、本棚に雑に置いてあったBTTBとグルッポムジカーレの古びたジャケが妙に気になった。
鉄道員のあまりに切ないメロディとPut your hands upの安寧が詰まった曲調に衝撃を受けた。恋愛観を拗らせた高校生のときは坂本龍一と結婚したい、そう宣っていた。

孤独に塗れて眠れないとき、Shining boy & Little Randyを聴いた。愛に溢れたメロディに慰められた。
よく一人で九州に出かけた。旅先で田園風景を見ながら/04を聴くのが好きだった。
イースター島でモアイに背を預けながら坂本を聞く夢があった。
六本木のオフィスで働きながら採光の良い部屋に住んでPerspectiveを聴きながら眠りたいと病んだ。夏に行った地中海の見える島で地平線を眺めながら、Happy endを聴いた。

坂本が好きな人と結婚した。
パートナーがピアノで坂本を弾いているとき、後ろのソファーでうたた寝するのが常だった。
空港のストリートピアノでパートナーが弾いた曲はMerrychristmas,Mr.Lawrence、弾き終わると一人の人が「今のなんの曲?」と尋ねてきた。
最近聞いたのは岩盤浴で流れていたBGMだ。曲名をド忘れして、パートナーとしばらく曲名当てクイズをした。坂本が娘を思って書いたAquaだった。


なるべく考えないようにしているが、「今生きている世界に坂本がいない」と思うだけでどうしようもない焦燥感と悲しさが思考に差し込まれる。こうして自分の人生をゆっくりと少しずつ失っていくと、だんだん死ぬことが怖くなくなるのだろう。彼の死に伴う誰の言葉も入れたくなくて、全てのメディアを絶った。元々テレビを見ないので、スマートフォンアプリでTwitterを開かなければ良い話だった。
それでも仕事の打ち合わせに行った喫茶店で、新聞紙に「坂本龍一」の文字を見て俯いた。

3日経ち、5日経ち、ようやくTwitterを開いてcommonsを見た。追悼番組の「スコラ」の文字を見て彼のセンスの全てが好きだったことを理解した。

氏と私は一度も会ったことがないし、言葉を交わしたことはない。私はただただ彼の曲を愛していただけだ。
坂本と私の人生は一度も交わらなかった。けれども確かに彼は私の感性を育てた父であった。人生と伴にあった、私の一部であった。確かにそう思うのだ。人生は短いが、芸術は長い。
坂本の好んだ一節は、このように受け継がれていくのだろう。

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