劇場版ウマ娘を見てきました【感想・考察】vol.1

はじめに

いまだに最強世代の一角として名が挙がる2001年牡馬クラッシック世代。『劇場版ウマ娘プリティーダービー新時代の扉』は、ターフの上での彼らの様々な物語を、ウマ娘的な視点から再解釈して脚色しつつ史実をなぞっていく、感動の超大作でした。
情念的なことは書くと永遠と文が伸びていってしまうので、ここではほどほどに抑えつつ、本作で描かれたレースを一つ一つ振り返りながら、4足歩行の方の競馬ファンとして感じたことを綴っていきます。

1995年弥生賞 フジキセキ

物語はトレセン学園入学前のジャングルポケットが弥生賞でのフジキセキの走りを目の当たりにし、強い衝撃を受けるシーンから始まります。
当時フジキセキは、無敗で駒を進めた朝日杯を単勝1.7倍の圧倒的な人気と共に勝利し、断然のクラシック候補として注目を集めていました。当時の朝日杯は、牝馬限定G1の阪神JFと対をなす2歳牡馬の最強決定戦に位置づけられており、それを制したフジキセキはクラッシック制覇を約束されたも同然の存在でした。
そんな中迎えた弥生賞。後続の馬に並びかけられようとした瞬間、フジキセキはまさに異次元の瞬発力で突き放し格の違いを見せつけるような圧勝劇を演じるのでした。ジャングルポケットが憧れを抱くのも納得です。(まあ、弥生賞が行われた中山競馬場は末脚を活かす競馬を得意とするジャングルポケットと相性が悪く、引退まで一度もここで勝利することはなかったんですけどね。)
フジキセキの顛末を知っている方ならご存じの通り、弥生賞は彼にとっての引退レースとなってしまいました。クラシック開幕を控えた3月24日、フジキセキは左前脚に屈腱炎を発症していることが分かり、完治を待つことなく引退し種牡馬入りとなりました。屈腱炎は「走る馬の宿命」とも言われ、完治がひじょうに難しく、再発の可能性も高い疾病で、多くの名馬がこの病を理由にターフを去っていきました。この屈腱炎をきっかけにターフを去った名馬の代表と言えば......それは後ほど長々と書くことになるのでここでは割愛します。
映画では、ジャングルポケットは自分もこのように走りたいと強く自覚し、トレセン学園入学後、フジキセキと同じトレーナーのもとでクラッシック制覇を目指し始めるのでした。史実でも2頭はいずれも同じ渡辺栄厩舎の所属で、この厩舎に初G1勝利を与えた馬こそ他でもないフジキセキ、そして初ダービー勝利を与えた馬が本作の主人公ジャングルポケットでした。
作中でトレーナーはかなり高齢な姿で描かれていましたが、実際の渡辺栄調教師もジャングルポケットの入厩時に定年3年前というものでした。そんな中でダービー勝利をもたらしたジャングルポケットがいかに調教師孝行な競走馬だったかがうかがえます。ここ周りの話は執筆中に投稿されたnetkeibaさんの記事(https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=265489)にも詳しく書かれているので、興味があればぜひ読んでみてください。

【コラム】フジキセキの血統

フジキセキはあの稀代の名種牡馬サンデーサイレンスの初年度産駒です。サンデーサイレンスの産駒が走り始めた1994年代は世代戦をサンデーサイレンス産駒が席巻し、まさに新時代の様相を呈していました。フジキセキはその代表的な存在として君臨し、これから訪れるサンデーサイレンス時代の幕開けを予感させる圧勝劇で畏敬の念と共に応援されていたそんな一頭だっとと思います。
さて、そんなフジキセキですが、彼の強さと脆さは血統面にもよく表れています。父サンデーサイレンスは前述のとおり日本の血統表を塗り替えるほどの影響力で、産駒に高い芝適正とレースに立ち向かう前向きな気性、そして溜めれば溜めるほどよく伸びる瞬発力に富んだ末脚を与えます。この道中で足を溜め直線でぐんと伸びる末脚は、日本のみならず世界中のどの種牡馬にも勝るものだと今なお感じています。
また、フジキセキの母父は仏ダービー馬ルファビュルー(Le Fabuleux)です。この血はいまだに影響力が強く、血統表の奥底に入っていても個性が現れるほどです。やはりフジキセキにもこの種牡馬の影響がよく表れています。ルファビュルーは何よりもその高い成長力で有名で、併せ持つ優秀な底力の助けもあって産駒の多くが早い時期から活躍し、実際にクラッシックで活躍する馬の多くがこの血を有しています。しかし、その高い成長力と引き換えに使い減りも激しく、体に脆さも現れてしまいます。実際にルファビュルーの血を持つ競走馬は間隔をあけて慎重に使われており、フジキセキはその脆さが現れてしまった結果と言えるでしょう。
種牡馬入りしたフジキセキはその高い種牡馬能力が認められたものの、父サンデーサイレンスの存在が日本で現役の種牡馬として活躍していたこともあり、4年目には日本初のシャトル種牡馬としてオーストラリアなどでも種付けを行っていました。現在では稀代の大逃げ馬パンサラッサなどがこれに該当しますね。

2000年ホープフルステークス(ラジオたんぱ杯3歳S) アグネスタキオン

映画ではトレセン学園入学後、ジャングルポケットは新馬戦、札幌3歳S(G3)を制し、年末のホープフルステークスでアグネスタキオン、ペリースチーム(クロフネ)と相対することとなります。
恐らく多くの競馬ファンはここのシーンに強い違和感を感じたことと思われますがそれもそのはず、2001年時点でホープフルステークスという名称は存在せず、あるのは前身となるラジオたんぱ杯3歳Sです。開催場所やグレードに違いがあり、現在のホープフルステークスが中山芝2000mの年末最後のG1(例外あり)として行われているのに対し、ラジオたんぱ杯3歳Sは阪神芝2000mの有馬記念週の土曜G3として行われていました。
映画ではほとんどの所を当時に準拠しているものの、名称は現在のホープフルステークスを用い、グレードも現在と同じG1で行われました。ですのでアグネスタキオンはG1 2勝馬となり、ホープフルステークス阪神芝2000mという謎のテロップが表示されたり、ホープフルステークスの後に有馬記念のシーンがあったりと、現在の感覚だと混乱してしまう要素ばかりでした。
レース自体は当時の牡馬クラッシック有力馬ジャングルポケット、クロフネ、そしてアグネスタキオンの三強が集った、今なお語られるハイレベルな一戦となりました。三強といいつつも当時のオッズは、前走エリカ賞でのレコードが評価されクロフネ(ペリースチーム)が抜けた1.4倍でしたが、そんな前評判を突き飛ばすかのように、終わってみればアグネスタキオンの快勝。2着のジャングルポケットに2 1/2馬身つけ、タイムは当時のレコードとなる2:00.8と驚異的な内容となりました。

2000年有馬記念 テイエムオペラオー

言わずと知れた名レースですね。テイエムオペラオーの年間無敗グランドスラムがかかった一戦で、20世紀を締めくくるにふさわしいレースです。
映画では、初めての敗戦に悔しがるジャングルポケットがテレビを通じてそのレースを目にします。予告の映像的にもっと尺使って描くと思ったら、思いのほかさっぱりでしたね。まあ、このレースに限っては現実が出来過ぎているので、どんな脚色も敵いません。
脚本側も、レース自体の再現と表現よりも、このレースを目の当たりにしたジャングルポケットやトレーナー、他のウマ娘たちがどう受け取るかに重きをおいており、物語に奥深さを産んでいます。ウマ娘というコンテンツがここまで愛された理由は、こういうところにあるのかもしれません。

さて、この2000年有馬記念、単にグランドスラムのラスト一戦という理由だけで名レースと呼ばれている訳ではありません。そのレース内容は、想像を絶するような衝撃を与えるものでした。ここで内容を詳しく読むよりも、是非実際の映像を見てみてください。本当に強い馬とは何かをテイエムオペラオーが教えてくれると思います。参考までに4コーナーでこの時のテイエムオペラオーより後ろの位置から有馬記念を制した馬は未だにいません、とだけ残しておきます。

続きはvol.2で


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