YouTubeユーザー同士の交流について一考 ~Twitterで『あらしの よるに』~

YouTubeは、チャンネルを開設して動画を投稿するだけの場ではない。

そのユーザーは、動画視聴のみを目的にしている人の方が多いことだろう。

コメントやライブでのチャットに利用している人も一定数居る。今回は、動画投稿はしていないがコメントやチャットによってYouTubeを利用しているユーザー同士の交流について、考える。

予め言っておくが、ベストアンサーは出ない。そんなものがあったら手短にしてTwitterに投稿して人目につくか、コミュニティのオーナーになりうる人物に上奏して実現のために稼働し始めている。

既に筆者の作成した記事・マガジンをご覧いただいた方には明白だと思われるが、基本的に筆者・紅月という人格はYouTuber・ましゅるむを楽しむ中で形成されている。紅月として書く記事はYouTubeに関するものが多くなるかもしれない。展望は無いが。


さて、今回も私の思考を垂れ流すことにする。


YouTubeにおいて、1,000人以上のチャンネル登録者を保有しない限り、そのチャンネルでコミュニティ投稿という機能を使用する資格を得られない。YouTube上でチャット・コメントの枠を設け自由に書き込みさせる場を作ることは、そもそもチャンネル登録者が1,000人に上るような、つまりは動画投稿をするようなクリエイターにしか許されていない行為なのだ。

しかし、YouTuberのファン同士でコミュニティを形成し、そのクリエイターについて話したり、場合によっては繋がりを持ってSNS上の交友関係を築くということも希求される。

……いや、Twitterとかでやれよ。

以上で今回の思考をシャットダウン…………できないから考え始めたわけだ。

つまり、Twitterのアカウントを持っているなら何の憂慮もない。(ともいかないのだが、それは後ほど考える)

YouTubeはGoogleアカウントでコメントやチャットを利用するものであり、Twitterのアカウントとは異なるものである。つまり、YouTube上でコメント・チャットをしていた人と同一のユーザーによるアカウントであるか、一目で判断がつかないケースが多い。YouTube上でチャットをしながら、仲良くなりたいと思った人をTwitterで探す。これは大変な作業だ。

Googleアカウントで、コメントしているものと同一のアカウントによってファン同士のコミュニティを形成できれば問題は解決する。

解決に導いてくれそうなものが、Google+だ。

Google+というだけあって、Googleアカウントを用いてコミュニティを形成し、トピックに対してフォローすることで同じ趣味を持つ人と語り合うことができる。

いいじゃん。私もそう思った。

だが、私がGoogle+のコミュニティ機能の存在を知ったのは、こんな文字を見た時だった。

Google+、2019年でサービス終了。

終了するタイミングで知った。便利じゃん。これがあればYouTubeのコミュニティ難民を救えるじゃん。なんで終了するし。Googleだろ、YouTubeと上手く連携してユーザー獲得しようよ。

頭の中で唱えても応えは梨の礫。
サービスは無事終了したそうだ。

さて、Google+のコミュニティはもう使えない。

Googleアカウントを用いてそういったコミュニティに誘導できるものはないか。探してみたが、いかんせんしっくりくるものがない。Googleアカウントを使う以上個人情報の管理に信の置けるプラットフォームであるかどうかは考えねばならないし、サービスの安定性も信頼できるか判断するのは容易ではない。Googleコミュニティのように、使おうとしたらすぐにサービス終了なんてことになっては砂上の楼閣もいいところだ。

Googleアカウントがあるということは、Gmailアドレスを持っているということであり、メールアドレスがあればアカウントを作れるサービスは数多く存在するので、ほかのサービスに誘導することも可能だ。


結局、Twitterでいいじゃん

そう、とどのつまりはここに帰結するのだ。なんという無駄骨。

しかし、プロセスが大切なのだ。プロセスとは、何がやりたかったのかの証明になる。Googleアカウントで集まったYouTubeリスナーのコミュニティを作るなら、そのまま同じアカウントで集まれるようにしたい。

それができなかったから、そこで取得したメールアドレスを用いて別のプラットフォームにまったく別のアカウントを作る。

そこが、Twitterである。

YouTubeの次に活発かつ情報発信の基盤として機能しているプラットフォームがTwitterであることもあり、Twitter上でコミュニティを形成することに、現状でハードルが下がっていると考えられる。

では、Googleアカウントしか作っていない人をわざわざTwitterに誘導しアカウントを作成させコミュニティの場として代替利用することが可能なのか。

その現実味があまりないから、今までそんなことをしなかったし、今回もこれほど長々と考えているわけだ。

アカウントを新しく作る手間は、ゼロとはいかない。それを強要することは紳士的ではない。

さらに、Twitter上でどうやってコミュニティを形成するか、それが問題になる。ハッシュタグを用いたやり方が、浸透するだろうか。

「#ましゅるむコミュニティ」やら「ましゅるむ交流」とか、「#ましゅるむ談合」なんてのをつけて、目的によって棲み分けをしてもいいかもしれない。私は正直SNSで交友関係を広げるのは苦手なので手を出すつもりはないが、「ましゅるむ好きと繋がりたい」とTwitterのプロフィールに記載している人を度々見かける。では、「#ましゅるむ好きと繋がりたい」で交流するのも手だ。


発端は?

そもそもなぜこんなややこしいことを考え始めたか。

それは、ライブ配信中のチャット欄の在り方について、考える必要に迫られていると感じたからだ。

ライブ配信中、そのライブに関係のない話をしないでほしい、ということをモデレーター(配信者によりコメントやチャットの管理を手伝うことを依頼されている人物)側で注意喚起する機会も多々ある。

それは、配信者の存在を完全に無視してチャット欄だけ利用されるのもなんだかな、という心情からくるもの。

しかし、同じファン同士の交流の機会を完全に奪ってしまうのはファンコミュニティの在り方に疑問を呈することになる。

ゆえに、別の場所をこちらから提示するのだ。

彼らはその別の場所を知らない、もしくは移ることを考えない。面倒くさいと言うかもしれない。だが、配信者を無視して自分たちだけの個人的な会話で配信中のチャット欄を利用するのは、マナーの観点から考えてどうだろう。自分が面倒だと思うことでも、行動に移すか我慢するかしなければいけないことはある。コミュニティ、ひいては社会とは、そういうものだ。
他人と関わる以上、それはどんなに小さくても社会なのだ。

たとえば、ライブ配信中に話が盛り上がって個人的な会話になりそうだな、と思った時、「#ましゅるむライブ配信副音声」とでもハッシュタグをつけてTwitterに移行してもらい、そこから今しがた会話していた相手を見つけ、リプライ(返信機能)なりDM(個人チャット機能)なりで仲良くなっていただけばそれでいい。

ちなみに、私が今回記したハッシュタグは現在のところ検索結果として存在しない。今から新たにハッシュタグを作り、そういったコミュニティの場として利用することが可能である。(「#ましゅるむ」その他簡潔すぎるものは既に多数使用されており、今回意図しているライブ配信時のチャットの代替となるコミュニティというビジョンにはそぐわない。)

アカウントを作ることを強要はしない。だが、それはチャットの中に配信者を無視した個人的な会話を混入することを許容したということにはならない。我慢いただくか、別の場所に移っていただくか。
その際、「後はTwitterの方で話しましょう」と自分たちで引き際を弁えて移っていただければ、こちらからの制限は何も必要ない。

たとえば、「○○さん、こんにちは」「こんにちは、○○さん。一緒にゲームしませんか?」「いいですよ。ここで詳しい話はご迷惑になるので、場所を移しましょう」「わかりました。Twitterで「#ましゅるむライブ配信副音声」でツイートするので、拾ってください」「わかりました。では。」
この一連の会話なら、私の目線からは容認できる。むしろこれすら許されないのであれば、交流の機会を断絶していると訴えられても返す言葉がない。

Twitterに移ってからのことは、わざわざこちらで注意はしない。人を傷つけるようなことをする人は自然とブロックやら通報やらの機能で淘汰されるだろうし、そこは自己責任だ。
Twitterは基本的に自分が思ったことを自分の枠で呟ける場で、そこでなら個人的なことを話していても誰にも咎められる筋合いはない。個人情報を相手から無理矢理引き出そうとしたり、相手の嫌がることさえ強要しなければ、自由に交友してもらって構わないと、私は思う。

ハッシュタグは、同じコミュニティで出会ったことの合言葉のようなものだ。


「あらしのよるに」という絵本を知っているだろうか。

嵐の夜、ヤギとオオカミが互いに姿が見えないまま小さな小屋の中で雨風をしのぎつつ会話をしていくという話で、幼少の頃ハラハラしながら読んだものだ。もしヤギの正体がオオカミにバレたら。両者はお互いに相手のことを同じ動物(ヤギ同士、オオカミ同士)だと思い込んだまま会話が進み、都合の悪いところはうまい具合に雷が鳴って聞こえず、それ以外では会話が若干違和感を含みつつも成立していく。それどころか、お互いに似た者同士で気が合うと感じてしまう。

そして、最後に嵐が過ぎ去り、両者は分かれていく。

「そうだ。どうです、こんど てんきの いいひに おしょくじでも。」

「でも、おたがいの かおが わからなかったりして」

「じゃ、ねんのため、おいらが『あらしの よるに ともだちに なった ものです。』って いいやすよ。」

「ハハハ、『あらしの よるに』だけで わかりますよ。」

「じゃあ、おいらたちの あいことばは、『あらしの よるに』ってことっすね」

「じゃあ、きを つけて、あらしの よるに。」

「さいなら、あらしの よるに。」

素敵な会話ではないだろうか。

ちょっとだけ、手間を惜しまずアカウントを作ってもらえれば。

ちょっとだけ、面倒がらず話の場所を移してもらえれば。

「あらしの よるに」のような合言葉で、ましゅるむファンと再会できるのが、Twitterのハッシュタグかもしれない。

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