戯言「R134とJ54と1ℓ」
――いつ書いたのかもわからない、ずっと下書きになっていたものを敢えて公開。見事なる戯言。
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R134を西に向かって走る。ドアを外したまま走る三菱ジープJ54の幌がバタバタと音を立て、後部座席に積んだラジカセからのTMネットワークの声を掻き消している。飲みに行こうと連れ出されているのに、車で来たということは帰るつもりは無いんだとだけわかる。向かう先も相模川を渡った先だろう。ドアを外してあると左腕を乗せる場所がなく、妙にシートに張り付く形になる。そうすると急ブレーキを踏まれたときに、ツンのめるのが嫌で本来ドアである空間から左足を出してフェンダーで身体を固定する。J54にはクーラーはもちろんのことシート調節なんてものはないので、こうするのが一番楽な乗り方だ。ただし、柄は果てしなく悪い。けれど、この車のオーナーである、トモは僕のこの乗り方をとても好んでくれていた。
「アカトは本当にジープのナビが似合うよな」
「それはあれか、僕が誰よりも早くドアの取り付けができて、幌を張る順番も最初に覚えたから言ってるのか?」
「それはそうだけど、そういうんじゃなくってさ」
「柄が悪いだけだよ。まぁ、トモもだけど」
ドアのないジープにレイバンのウェイファーラーの黒をかけたドライバーと鼈甲色をかけたナビ。夏の観光客だらけの湘南~鎌倉R134。信号で止まれば、やたらと悪目立ちした。低学年くらいの子供が「おかーさん、あのくるまドアないよ! ドア!」と指差して叫ぶのを母親が見ちゃいけませんと制止する程度には柄は悪い。海っぺち殺人光線ともいえる陽射しの下でグラサンをしないのは無謀にもほどがあるから仕方がないとはいえ。
トモとの出会いは居酒屋だった。僕が入ったばかりのバイト先の常連だった。チーフの友達で名前はトモだと覚え始めたころ「結構飲めるって聞いたんだけど仕事が無い時に飲みにいかないか?」と誘われた。
その頃の僕は未成年ではあったけれども、人生で一番酒が飲めた時期だったので、二つ返事でオーケーした。飲みっくらをしようと、トモが常連の居酒屋のカウンターで並んで座り、お銚子を大将に片付けないでくれと頼んで飲みは始まった。お互い10本くらいカウンターに並べたところで、大将が客が増えてきたからとお銚子を回収したので、勝負はつかなかった。負けず嫌いなトモは河岸を替えて続けようと言ったが、もうよれよれだった。
酔い覚ましをかねて、1kmほど歩いた公園に行き、トモをベンチに座らせてコンビニに買い出しに行った。飲み足りなかったからだが、これで自分だけ酒を買って帰るのもなんだとトモには500ml缶のビールを買った。その話はトモが30を越えたおっさんになっても、僕を人に紹介するときに話す定番話となった。
「こっちはさ、負けたって言えないだけでヘロヘロなのに、500ml缶を差し出してきて、しかも自分は紙パックの日本酒だよ、1リットルのさ。クピピピピって飲みだすんだぜ。こりゃあ絶対勝てないわって思ったよ」
以来なにかと飲むようになった。出会った当時のトモは大磯の北側、大根にある巨大な大学の学生で、なにかとそっちにも連れてかれた。トモの同級生や後輩とバカみたいに飲んだ。床の敷物になるまで飲んだり、酔ってネギ畑の畝を突っ切ってみたり、6畳のアパートに8人くらい気付いたら潰れていたりした。なんだかわからないけど、その場にいたものだけ楽しいバカみたいな飲みをよくやっていた。僕もそれなりに思春期やら悩みを抱えていた10代だったから、そのすべてを酒でごまかすように笑いながら飲んで暮らしていた。なによりも、最初こそは日本酒だったが、トモと僕は飲む酒が一緒だった。今は無きウォッカ、ストロワヤをバカみたいに飲んでいた二人だった。
6つ上のトモは就職しても、結婚しても、僕をなにかと飲みに誘った。僕が地元を離れても、どこにいても。僕も地元に帰るときは必ずトモに連絡した。ある程度大人になったとき、他に急に連絡して飲んでくれるような相手はそうそういなかった。トモも多分そうだったんだろう。それくらい飲み相手としては最適だった。酒を飲むこと、飲み方、話すこと、全部が気楽だった。
J54は生産中止になり、ストロワヤは生産中止になり、一緒に行ったたくさんの飲み屋が潰れ、それでも飲んでいた。けど、トモは突然死んだ。
病死だったが、聞くにどう考えても酒の飲み過ぎだった。
葬儀にも行った、火葬場まで行き、骨もひろった。けど、まだ、もう何年も経つというのに死んだ実感がない。携帯電話は何台も乗り換えたけど、まだトモの電話番号は保存されたままだ。地元に帰っても飲まなくなった。
トモが死んでから幾星霜。地元に帰ることも滅多になくなったある日、地元で地元民ではない仲間と飲む機会があった。いわゆる観光的な感じで、仲間は鎌倉からゆるゆると江ノ電に乗り、江ノ島までやって来た。地元すぎて観光もクソもない僕は夕方の終着地、岩屋の魚見亭で先に待っていることにした。ここもなにかとトモと来た店だ。なにをするわけでもなくブラブラと江ノ島にやってきて、岩屋の潮溜まりで遊んだり、猫を撫でたり、鳶と威嚇し合った。ここだけは一人でもたまに来ていた。テラスというにはボロっちい外席でぼんやり相模湾を見ながら飲むにはちょうどいいからだ。地元に居たころは観光地価格が高すぎて敬遠しがちだったけど、大人になった今はむしろ都内で飲むよりも安いくらいだ。皆が集まり、そんな風な感傷を忘れて飲んで会計をしようとしたとき、不思議なことが起きた。
会計がどうかんがえても1人分多かった。
それを聞いて僕の頭はグラリと揺れた。
居たんだな。
疑うことなくそう思った。アカトの客人が来るのに、俺を呼ばないなんてありえないだろう? 呼ばなくても現れる男が死んでもなお現れたんだと素直に受け入れた。受け入れちゃったんで泣きそうになった。遠方から来た仲間を駅まで送り届けるのを諦めて、僕はもう真っ暗になった江ノ島で皆と別れ、浜に出てだらだらと暗い砂を踏み歩いた。
「アカト、いい店見つけたんだよ」
そう始まる電話もメールももう来ない。来ないけれど、いい店を見つけほろ酔うと僕はトモにふとメールを打ちそうになる。そして、ああ、もういないんだったと小さく落胆するのを何年も続けている。死んだら、トモとあの世で飲めるんだったら、死ぬのもなんら悪くない。
「アカトの買い被り、俺わりに好きなんだよな」
うるせえ、命日だってもう忘れたのに、まだお前の墓参りに行けてないんだ。黙ってろ。
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