合コン村の思い出

 26歳、新卒で社会人になった頃(諸事情で遅い)、生まれて初めての合同カンパニー、略して合コンのお誘いに乗った話。 (※昔書いたもののリファインです)

 なお後にも先にもいまだこの1回しか合コンには行ったことがありません。

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 ある日唐突に院時代の知人から、合コンのお誘いメールがきた。その人もまた悪いがぼくと同じで合コンなどにはとても縁の無さそうな人間で、最初は合同結婚式の誘いかと勘違いしたくらいだ。しかしその人からの提案自体が既に奇妙で面白く感じられたので二つ返事でOKした。面白いというのは合コンそれ自体のことではなく、寒々しさの中の一輪のネタを凍えながらも摘みに行くような、まあそういう意味だ。察していただきたい。 
 事前にそういった儀式に詳しそうな会社の同期に話をし、見知らぬ男女が集い酒宴を執り行う場、略して合コンに於いて山手線ゲームや千田光男ゲーム等は現在でも行われているのかといった確認をした。特に山手線に関しては大塚~上野間と有楽町~目黒あたりが自分の記憶の中でアヤフヤなので予習せねばと思っていたが、現代ではそれほどやらないのでは、という話だったので仕込むのは止めておいた。どちらかといえばJRよりは東京メトロのほうが得意である。 

 というわけで合コンヴァージンを喪失すべく、秘境の部族に会いにいくウルルン滞在記の気分で出かけたのであった。 

 男子はぼくを含め4名、幹事を除き皆合コン初体験という酷いメンツで、しかもおそらく正社員のサラリーマンはぼくだけだった。相手の女性たちは幹事の知人(この女性が女性たちのリーダー的存在だったので、便宜上以後「酋長」と呼称する)を中心にその同じ会社の方らしく、5名やってきた。 
ろくに自己紹介もしないまま注文をし始めると、早速合コン村の手痛い歓迎を受けた。店員が酒をこぼし、脱いであったぼくの靴にサワーをぶっかけたのである。酋長は「これでお前もこの村の一員だ」というような表情をした。ぼくはスーツ一式の中ではかなり靴にお金の比重をかけているほうなので、帰った後のケアのことを考え一気にテンションが下がった。 
 元々異文化の人々ということもあるが、会話もキャッチボールにならずデッドボールばかりであった。特に、酋長に「ライヴとか行かないんですか」と訊かれたので「家でCD聴くほうが多いですね。インドア派なので」と答えたら、酋長は「インドア!インドア!アッハハハハッハアハハー」とやたらインドアという単語についてウケていた。なぜそこでウケるのかぼくにはまったく意味がわからなかった。 
 酋長の他にも、ジントニックばかり執拗に注文し続け(飲み放題)、来たグラスを口にする度に「これはジントニックではない。呑めないよ」と美味しんぼの山岡的なこだわりを見せ、しかしカシスやらには逃げず延々とジントニックを再注文し続けるという女性や、最初の挨拶で何故か「あ?どゆこと?」みたいにいきなりケンカ腰という女性など、とても個性溢れる面子であった。 顔は怖くて直視できずよく覚えていない。
 女性側のことばかり悪く言うのは実は誤りで、むしろこちらの面子のほうが酷い。文学の大学院生(と元院生)ばかりなのだが、取り敢えず空気を読んで漱石先生の話でもすればいいのに、武田泰淳や埴谷雄高などの作家の話を平気で持ち出し、相手が「三谷幸喜の本とかなら読みます」と言ったら普通に鼻で笑うような、まさに異文化コミュニケーションが繰り広げられていた。W村上の話なんかを持ち出したらきっと大変なことになっただろう。
 40分くらいでもうイヤになり、20分に1回のペースでサワーで軽く湿った靴を履いてトイレへの逃亡を繰り返し、あまりスーツにシワがよらないよう体育座りをして烏龍茶をストローの端を噛み締めながら啜っている時間が、ぼくにはあまりにあまりに長く感じられた。大体知らない人と酒を呑むという行為自体に無理があるのではないか。ぼくは本当にウルルンの番組中盤(与えられた課題がうまくいってないあたり)並にふてくされていた。
 そしてせめてたとえば、朝青龍とか長州小力とかリックディアスみたいな女性とかがやってきてくれればそれはそれでネタになったりもするのだが、別にそういうわけでもなく、ウルルン滞在記で何故かクイズ番組ってわけでもないのに2問くらい意味のないクイズがでたりするけど、それくらい意味のない時間だなあと思わされた。しかも平日で、翌日も出勤なのでなおさら時間を不法投棄してるナウ!と感じてきたので、耐えきれずお開きになる前に適当に金を置いて帰ってきた。カクテル1杯と烏龍茶2杯で多分6000円くらい置いてきたので、とても高価く、その割に面白くもないネタだった。酋長にも「お前は立派な村の一員だ。またいつでも帰ってこい」と変な帽子を貰いつつ言われる、といったこともなく、つまり電話番号どころか名前すらわからないまま逃げてきたのであった。去り際のテーブルの上には、山岡の審査に通らなかった大量のジントニックの飲みかけが置いてあった。