アイカツとプリパラの物語構造の対比

 私は、およそ2年前に「プリパラ」という作品と出会いました。それまでは女児向けアニメには毛ほども興味がなく、プリキュアが好きな友人の話を「ほーん」と聞いている程度でした。

 しかし、プリパラと出会って、「もしかしたら私はとんでもない作品と出会ってしまったのかもしれない」と愕然としました。そして、しばらく時を経て、友人に「アイカツ」を勧められてみたのですが、「もしかしたら私はどうしようもなくすごい作品に出会ってしまったのかもしれない」と唖然としました。

 とはいえ、女児アニメに一ミリの興味のない人にとっては、おそらく「アイカツ」と「プリパラ」は同じような作品だと思っているような方も多いと思います。2年前の私のように。

 そこで、本記事では私の各作品の感想を全面に押し出しながら、アイカツとプリパラが、どのような物語構造であり、どこが違うのか、どこが同じなのかに関して触れてみたいと思います。


アイカツの共通点 「憧れ」が次の「憧れ」を生む仕組み

 アイカツの共通点は、必ず、主人公を導くための憧れの対象、いわゆる「強キャラ」が存在する点です。星宮いちごにとっての神崎美月、大空あかりにとっての星宮いちご、虹野ゆめにとっての白鳥ひめ、そして、ピュアパレットにとってのラブミーティアがそうですね。

 アイカツは主人公が強キャラに憧れ、強キャラを目指して成長をしていく過程で、自分たちの個性、強みを見つけ、やがてアイドルとして大成していく、というのが、基本的な物語構造になります。そして、個性を見つける過程でいくつかの困難であったり葛藤が生まれるわけです。この困難を仲間と乗り越えることもありますが、大抵の場合、強キャラが主人公にヒントを出す、あるいはアドバイスをする、という形で主人公に気づきを与え、物語が進んでいきます。

 そして、この強キャラから受け取ったメッセージを、やがて下の世代の後輩に受け継いでいく、というのが、アイカツの節々のシーンで見受けられます。主人公を中心とした成長の物語を描きつつ、成長した結果として、また自身が強キャラとして後輩にバトンを渡していく、このシャイニングラインこそが、アイカツの物語構造の根幹にあると、私は考えています。
 また、アイカツの特徴の一つとして「見ていて不快に思う描写が排除されている」点が挙げられると考えます。これについては、快不快の判断基準は人それぞれだと思うので、あくまで私の意見だ、程度に捉えてください。

 アイカツは、あくまでその主眼を成長に置いており、成長の原動力として憧れが根底にある、というのは前述のとおりです。そして、この文脈であれば、いわゆる「悪役」を登場させずとも、人の成長や葛藤、仲間との絆を描くことができます。この点において、見ている女児たちは、主人公をはじめとするキャラクターたちに共感することはあっても、特定のキャラクターに負の感情を抱く、ということが起こりづらく、また不快に思われるようなシーンを極力排する工夫をすることで、結果として安心してシリーズを見ることができるようになる、と考えています。

 ただし、「アイカツスターズ」シリーズにおいては一部この文脈にそぐわない部分があります。そのあたりの話は、アイカツスターズの項で言及したいと思います。


アイカツ(無印)「努力」を楽しむ姿勢を忘れない

 アイカツは、テレビシリーズが4シーズン全178話と劇場版から成っています。

 アイカツの本質はスポ根です。そのため、当然熱い物語に必要不可欠な努力、友情、勝利の全てを兼ね備えているわけですが、中でも無印は「努力」にフォーカスをしている作品です。

 主人公の星宮いちごは、元々はお弁当屋さんの娘で、将来は家のお弁当屋さんを継ぐのが夢、そんな至って普通の女の子でした。アイドルには大きく興味がなく、友達に誘われていくことになったライブ前日に興奮する弟らいちに、「というか、もう寝よう?」とたしなめるほどの冷静っぷりを見せます。しかし、神崎美月のライブを見て、アイドルという存在に一目惚れをするわけです。そして、友達の霧矢あおいと共に、スターライト学園の編入試験を受ける、というところから物語はスタートします。

 いちごちゃんのアイドルとして素晴らしい点は本当に多くあると思うのですが、シーズン1,シーズン2で特に重要になってくる点として、「努力をすることを楽しむ」という考え方だと、私は思います。何事もアイカツの一環だと捉え、楽しみながらアイドルとして必要なことをぐんぐんと吸収していく、そして、最初は美月さんへの憧れから始まったアイドル活動への、自分なりのアンサーを見つけるのが、本当にきれいに描かれています。そして、もちろんいちごちゃんだけでなく、ほぼ全ての主要キャラクターに対して、憧れや理想に向かってひたむきに努力するシーンが描かれています。時には挫けそうになっても、仲間や強キャラがそばにいるから、それを克服できる、という構図なわけです。仲間って素晴らしい(コミュ障並みの感想)。何事にもポジティブで、周りを巻き込みながら動き回って成長していくいちごちゃんが、アニメの話数を追うに連れ確かに成長していくのを感じられ、やがてトップアイドルになるその瞬間には、他では得難い感動をもたらしてくれます。

 そして、アイカツで努力といったら欠かせない存在が、シーズン2の76話で登場し、シーズン3から主人公となるあかりちゃんこと大空あかりです。

 私はあかりちゃんが動いているだけで感極まるタイプのあかりちゃんの大ファンなのですが、彼女は初出からシーズン2までは、少し不出来なアイドル候補生でした。それでも、誰よりも努力をし、いつも笑顔を絶やさなかったからこそ、一つ一つのことを着実にステップアップさせ、やがて多くの人を笑顔にする存在となるわけです。全ては、憧れのいちごちゃんのようなアイドルになれるように。

 シーズン3の112話から劇場版アイカツへの流れ、そして劇場版アイカツからバトンをつないだあかりちゃんがシーズン4ラストのスターライトクイーンカップまで駆け抜けるあの感覚、アイカツという作品がいかに手を変え品を変え女児を飽きさせないようにしながらも、確かに伝えたい一本の太い筋を通していることを見せつけられます。

 様々な個性を持ったアイドルたちが、その個性や他人との違いに悩みながらも、ひたむきに努力し、やがて大きなステージに立ち、ファンを笑顔にする、これこそが、アイカツ(無印)の物語構造の芯の部分だと、私は考えています。

アイカツスターズ 勝者の裏には必ず敗者がいる

 アイカツスターズは、テレビシリーズが2シーズン100話、そして劇場版で構成されています。

 まずアイカツスターズは、他のアイカツシリーズとは少し毛色が異なります。なぜなら、スターズは努力、友情、勝利の中の「勝利」に比重を置いた作品だからです。

 主人公虹野ゆめは、アイドルの白鳥ひめに憧れ、四ツ星学園に入学します。四ツ星学園には、それぞれ花の歌組、鳥の劇組、風の舞組、月の美組という専門コースがあり、それぞれの組のトップは「S4」と呼ばれ、憧れの対象となります。虹野ゆめはこのS4になることを目指し、日々精進する、というのがシーズン1となります。

 この組とS4というシステム、初めは「宝塚かよw」と思ったわけですが、アイカツスターズの根幹かつ必要不可欠なシステムであり、かつアイカツ(無印)でできなかったことをやろうとした試みだったんだなとしみじみしています。それは、「限られた枠を争う」という競争と、その競争に伴う葛藤です。

 アイカツ(無印)でも、スターライトクイーンという1つの頂を目指して、互いに切磋琢磨し合うシーンはありました。しかし、スターズではS4という目標のために、何度も何度も競い合う描写があり、明確に「勝ち負け」を意識させています。そして、勝負というからには当然、勝者もいれば敗者も存在するわけです。スターズでは胸が苦しくなる場面が他のアイカツ作品と比べて多いと思うのですが、それは敗者が、もがきながら前に進もうとしてるところに、どうしようもなく共感するからだと、私は考えています。 

 そして、この勝者と敗者という構図を作るときに、S4は極めて有効に機能しています。もし目指すべき場所が1つだけで、主要キャラクター全員がそこに向かってしまうと、最終的にこの目標に到達できるのは一人だけになってしまいます。しかし、それぞれ別の頂を目指せば、結果として多くのキャラクターが報われることにつながります。それぞれ目指すべき場所は違えど、互いの思いを抱えながら、最後には憧れの強キャラに立ち向かう、なんと極めて王道で熱い展開なのでしょうか。

 シーズン2のヴィーナスアーク編でも、基本的に競争の構図は変わりません。エルザフォルテは初出時はかなりイラッとするキャラなのですが、これはS4とは異なる形での強キャラ、いわゆるラスボスを演出するための流れですね。ただ、エルザさんにもまた、憧れの強キャラがいて、そのために一心不乱に努力し、常に勝利し続けることを目指す、王道の「アイカツ」を歩んでいることが後々の話でわかります。そうして、最終的には、ゆめちゃんとエルザさんが、互いの意地とプライドをかけてラストバトルをするわけです。熱すぎる。

 シーズン1,2ともに、アイカツスターズでは他人と競い合うことで、自分のアイカツを見つけていく作品です。そして、必ずしもそれは勝利からばかり学ぶわけではありません。敗北して挫折し、いっぱい泣いて、それでも最後に自分のアイカツを見つけるようなキャラクターもいます。特に、桜庭ローラというキャラクターは、間違いなくアイカツスターズだからこそ生まれたアイドルだと、私は考えています。

 私はローラちゃんが頑張ってるのを見ると感極まるタイプのローラちゃんの大ファンなのですが、86話はまじで画面の前から動けませんでした。いやほんとに。 アイカツスターズは、無印のアイドルたちの努力、がんばりをしっかりと踏襲しつつも、新たに「勝負」というスパイスがふんだんに入っており、見ていて心にグサグサとささりまくる作品です。

アイカツフレンズ フレンズの中にある「差異」が成長の原動力に

 アイカツフレンズは、シーズン1が50話、シーズン2が26話で構成されています。76話、少ないですね。ちなみにアイカツフレンズの後続として、現在「アイカツオンパレード」が放映されています。

 アイカツが努力、スターズが勝利を主眼においているので、フレンズはその名の通り「友情」を強く意識した作品です。

 主人公の友希あいねは、ある日アイドルの湊みおにサンドイッチを届けに行き、そのまま成り行きでみおと同じステージに立つことに。その後アイドルに興味を持つようになり、スターハーモニー学園のアイドル科に転入する、というところから物語は始まります。そして、ナンバーワンのフレンズの称号「ダイヤモンドフレンズ」を目指して日々アイカツに励みます。

 今作は、今までと異なり、はじめて「ダブル主人公」という形をとっています。今までは、主人公が所属するユニットそのものにスポットを当てている場面はあったものの、それはあくまで、星宮いちご、大空あかり、虹野ゆめを中心としていました。今作は、友希あいね、湊みおの2人ともが、それぞれ別のキャラクターとして、ともに成長していきます。そのため、今までのシリーズでは主人公が必ず誰かへの憧れからアイカツをスタートさせていましたが、あいねちゃんには初期段階では、あくまでみおちゃんに巻き込まれるという形でアイカツをスタートさせています。むしろ、アイドルとはどうあるべきか、どのようなアイドルになりたいのかをはじめから持っていたみおちゃんが、あいねちゃんを引っ張るという形で物語が進み、やがてあいねちゃんが自分の目標やアイカツを見つけていきます。この二人のアイカツに対するギャップ、あるいは「差異」が、物語を推し進める重要なファクターとなります。

 ピュアパレットはもちろん、ハニーキャット、リフレクトムーン、そしてラブミーティアやアイビリーブまでもが、二人の「差異」を受容した上で、それを無理に合わせるのではなくお互いを尊重して良さを引き出し合うことで、フレンズとしての成長を描くわけです。本編中の言葉を借りるなら、「1+1が無限大になる」と本気で思わせてくれるようなストーリー展開です。

 特に友達が多いコミュ強のあいねちゃんと、ラブミーティアオタクのコミュ障みおちゃんの距離の詰め方のシーンが、コミュ障の私にとっては「みおちゃんの気持ちわかるぅーーー」と無限に共感したり、リフレクトムーンのさくやちゃんが.突っ走るかぐやちゃんをフォローするところで「そうだよなーーーこれこそがかぐやちゃんが尊敬するお姉様だよなぁーーー」となったりします。まああれですよ。いわゆるチガカワってやつです。合ってますかね。

 アイカツフレンズは、間違いなく友情や絆を主軸としつつ、それらを育むために他者との差異を認識し、その中で自分の個性を見つけて成長していく流れが非常にまとまって書かれています。あと、シーズン2ではひたすらアリシアシャーロットさんがぐうの音も出ないほどの聖人であることを見せつけられる作品です。あれだけの話数使って一人のキャラの心情の変化を丁寧に描けるのは、さすが女児アニメ、というところです。

プリパラの共通点 どこまでも強い「個性」のぶつけ合い

 プリパラの特徴は、なんといっても個性的なキャラクターたちです。主人公のチームは、「かしこま」が口癖のらぁら、「ぷりっ ! 」を語尾につけるみれぃ、そして梅干しを食べないとぷしゅーとなるそふぃの3人で構成されています。この時点で結構やばいのですが、こんなのは序の口なくらい個性的な面々が連なります。そして、彼女らは個性のドッジボールを繰り広げながら成長をしていきます。

 後、大きな物語の特徴として、プリパラでのキャラクターの成長の原動力は憧れなどではなく、ただ目の前にある「困難」です。詳しくは個別の作品紹介で述べたいと思います。

プリパラ 「困難」を克服してラスボスを倒す王道バトルもの

 プリパラは、シーズン1が38話、シーズン2が51話、シーズン3の51話の系148話から構成されています。

 ちょっと声が大きいことがコンプレックスの、普通の小学生真中らぁらは、ある日落とし物を届けに、学校で禁止されているプリパラの世界に足を踏み入れてしまいます。そして、バッグの落とし主であるアイドルみれいと共に成り行きでステージに立つところから物語は始まります。

 プリパラは大きな流れがあり、主人公がそれに向かってがんばってワンシーズンが終わる、という作品ではありません。あくまで大きな目標は「神アイドルになること ! 」と決まってはいます。しかし、プリパラの物語は、かならず「超えるべき困難」がトリガーとなって進んでいきます。

 シーズン1だけでも、「アイドルとして格上の北条そふぃとチームを組む」「プリパラ禁止をやめさせる」「ファルルと友達になる」と、三つの大きなトラブルを解決するために、らぁらたちが切磋琢磨東奔西走するわけです。彼女たちは、「なりたい何が」を目指しているのではなく、あくまで困難を乗り越え、ライバルを倒すことを目標に成長します。そのため、なにか壁にぶち当たったときに手を差し伸べてくれるのは、強キャラではありません。仲間や、周りの何気ないキャラが彼女たちを励まし、最後は自分自身で起き上がる、というアプローチを取っています。このときの心の葛藤、周りの励まし(最初のうちはだいたい響かない)が結構痛々しく描かれており、「これまじでどうなるんだ?」と、物語に引き込まれていきます。

 さらに、これらの困難に加えて、仲間との衝突が非常に多く発生します。なぜなら、プリパラに登場するキャラクターは一人ひとりが個性的であり、自分の信念を持っているからです。プリパラでは、アイドル一人ひとり以上に、「チーム」が前提となって、チームという単位での成長、パワーアップを図るために試行錯誤するシーンがよく見られます。そして、そのような時には、たいてい「新しくこれをやろう」などとなっても、「それよりもこっちのほうがいい」「やりたくない」などと反発の声が上がり、そこからチーム内での諍いが発生したりします。あるいは、チーム内の他のメンバーとの価値観や才能の違いに悩み、苦しんだりもします。プリパラという、非現実的な舞台装置を使いつつも、彼女たちが起こす人間的トラブルは、かなり現実感のあるもので、見ていて「うわぁ」となります。

 そして、そのような大小様々なトラブルを乗り越えてさらに絆が深まり、ようやく一致団結してシーズンの節目にはラスボスを倒します。このラスボスたちが、またそれぞれ非常に個性的な面々となります。特にシーズン2の紫京院ひびきにはとても衝撃を受けました。

 紫京院ひびきは、最初はイケメン王子様枠として登場しますが、プリパラに対する並々ならぬ情熱を持っており、自らの崇高なる望みを叶えるためにプリパラの頂点に立ちます。そうして、主人公のらぁらたちのような「友達」という考え方を忌嫌い、排斥し、セレパラという選ばれた者のみがライブを行う環境を作り、自らが神アイドルになることを目指します。ひびきさんがラスボスとして魅力的なのは、彼女の行動はあくまで「自らの信念」に則ったものであり、それが正しいとか、間違っているとかいう単純な話で語られない点です。だからこそ、ひびきさんが勝ちみれぃたちが負けてしまった時に、言いようのない絶望感が襲ってくるわけです。私の尊敬するパワプロクンポケットの黒野博士の言葉を借りるなら、「正義の反対は、別の“正義”あるいは“慈悲・寛容”」なことが痛々しいほどに伝わってきます。選ばれた者だけがアイドルになれる、という思想は、何も全く不思議なことではありません。現に、アイカツのスターライト学園は、背景ややり方は違えど、根本には、「アイドルは選ばれた人間がなるべきものだ」という思想があります。ひびきさんの初志貫徹した行動、圧倒的なライブは、まさに「ラスボスかくあるべし」という佇まいであり、シーズン2は本当にハラハラしながら視聴していたのが記憶に新しいです。

 プリパラでは、明確に対立の構造が書かれ、勧善懲悪のストーリーをなぞっています。しかし、「悪」側のキャラクターには彼ら彼女らの信念があり、それらがどのように醸成されたかを丁寧に追いつつ、出会いや心情の変化をきっちりと描ききることで、すべてのキャラクターがクセがとても強いながら魅力的になり、他では見られないようなドラマが展開されるわけです。

アイドルタイムプリパラ みんなに「夢」を配って最高のライブを

 アイドルタイムプリパラは、全51話で構成されたプリパラの後続作品です。短いですね(主観)

 神アイドルとなった真中らぁらは、プリパラを盛り上げる使命のため、パパラ宿にあるアボカド学園に転校します。そこで、お米と夢が大好きな夢川ゆいと共に、パパラ宿の閑散としたプリパラを盛り上げよう、というところから物語が始まります。

 アイパラは、前作のプリパラと同様、基本的には「困難」が成長や先に進むトリガーとなりますが、困難の種類がプリパラとは異なります。そもそも、まずはプリパラにみんな興味がないところからスタートをするので、プリパラの魅力、夢を持つことの魅力を精一杯ゆいたちが伝えていき、周りを巻き込んでいく、というのが基本的な流れです。主人公ゆいの特殊能力「ゆめ目」により溢れ出る夢パワーで仲間を増やして次の困難に挑んでいくわけですね。ここでのらぁらの立ち位置は、強キャラのようにゆいを導くのではなく、ゆいの最初の心強い仲間として描かれています。アイパラの中でも、強キャラのように主人公たちのモデルケースとなるキャラは少なく(強いて挙げるなら、にのにとってのシオンが最も近い)、前作キャラとも、先輩後輩のような関係性になることなく「対等な」立場となっているのが印象的です。

 また、アイパラにおいて最も特徴的なのは、40話以降の怒涛の展開で、51話という枠に収めつつ、かつ雑にならずにしっかりと各々の課題も向き合い、克服し、贅沢にラスボス戦に贅沢に4話も使うという構成はあまりにも素晴らしかったです。アイパラ主要キャラクターであるゆい、にの、みちるが、それぞれ壁を超える、というところで、自分の強みを見つける、あるいは、苦手なことを克服する、ということを、少ない時間の中でしっかりと行い、それぞれが一段階成長したうえで、ガァララとファララが長い時を経て和解します。和解の象徴としての「リンリン♪がぁらふぁらんど」のライブシーンは本当に最高でした。そして、ここで平穏無事にすべて解決、と思いきやまさかのラスボス戦に突入、という流れで、これまでのキャラクターたちのライブをすごく自然に入れられて、「ああ、プリパラが終わるんだなぁ」ということを嫌が応でも受け入れざるを得ない、素晴らしいライブラッシュとなります。

 47話以降のライブはどれも素晴らしいのですが、特に49話のドレッシングパフェのGet over dress codeは圧巻でした。この曲の演出、歌詞、サウンド、全てが最高でした。彼女たちは、まさしくゴッドアイドルにふさわしいわけです。いやまじで、あの場面であのイントロからあの曲は反則でしょ。


まとめてきななにか。

 テレビディレクターの佐々木健一さんは、著書『「面白い」のつくりかた』の中で、このようなことを述べられています。

「面白い」とは〝差異〟と〝共感〟の両輪である

 まさにこれが、私にとってなぜアイカツとプリパラがこんなにも面白いのかを説明してくれる考え方でした。ここでいう「差異」とは、ある種期待値とのギャップと読み替えてもいいでしょう。この2作品は、アプローチは違えども、「まさかこんなことになるなんて」「まさかここまでするなんて」と、私が当初抱いていた漠然としたハードルを悠々と飛び越え、そして丁寧なキャラクターや脚本のいたるところで共感し、気が付けば作品に惹き込まれていました。

 アイカツシリーズは、「憧れ」を軸にして、お互いがポジティブに切磋琢磨しあう王道部活もの、プリパラは、「困難」を軸として、目の前を困難に打ち勝ちながら、どんどん味方を増やしてラスボスに挑む王道バトルものです。そして、そのどちらの作品にも、子供に伝えるべきごまかしのない普遍的なメッセージがあり、それらを伝えるのに十分な時間と、練りに練られたストーリー、キャラクターたちがいます。もし興味が少しでもございましたら、ぜひだまされたと思って一度見てみてください。

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