ガールズバンドクライの最終話では何が「終わった」のか?

 ガールズバンドクライ、いいアニメでしたね。
 途中から脚本にエンジンがかかってきたのと、キャラクターたちの解像度が上がってくるにつれ、それまで何気なく見ていたシーンの意味合いなんかもわかるようになっていってどんどんのめり込めるような作品でした。
 そして13話の最終回、あまりにも鮮烈な12話のラストからあどうつながるのか、この物語をどう締めくくるのか、本当に楽しみにしていました。そんな人間が、最終回を見て一晩うんうんいって一つの考えに至ったので、感想文として世に出そうと思います。みんなもガルクラみよう。

トゲナシトゲアリの物語は終わったのか

 13話視聴後、最初の第一印象として正直に申し上げると、面食らいました。
「あ、これで終わるんだ」

 特にアニメに限らず、物語は起承転結、というものを大事にしましょう、ということを国語の授業でも習いますし、その中でも物語の締め、結末というものは非常に重要視される部分かと思います。ぶっちゃけ、中盤が多少だれていてもラストで盛り上がった作品はなんだかんだで高い評価を得る傾向にありますし、逆にラストが盛り下がった場合にはあれ?となって結局そのあとに評価されなかったり、オチがひどい作品だと違う意味でネタにされるようになるのが日常茶飯事かなと思います。物語の結末というのは、それだけで作品の評価を大きく変えかねないくらいに重要なものになります。
 しかも、がルクラも例にもれずバンドアニメとして盛り上がるライバルとの対バンがセッティングされ、そこに至るための新曲をあえて流さずに仁菜に現実を突きつけるような展開となります。ロックの神様なんていないのか、もしくは見放されているのか、という、そんなオチです。
 あまりにも物語の結末を迎えるのにふさわしい「転」であり、「結」はどうなるのか、本当にワクワクしながら最終話を見ました。

 最終話単体で評価をするのは非常に難しいですが、過去のほのめかされていた因縁を丁寧に説明し、その上で、仁菜が仁菜らしい選択をし、それにバンドメンバがついていく、というのは、一定作品として筋が通っているようにも見えます。
 しかし、結局ライブシーンは素晴らしいものの、根本的な問題は大きく解決していないし、彼女らが今後成功を約束されている未来とは到底言えません。すぐに解散してフリーター生活をしているかもしれませんし、もしかしたら大成功しているかもしれませんし、もしかしたら最低限の収入でがみがみ言いながらやっていくのかもしれません。結局直接ダイダスとの勝ち負けがついたというわけでもないし、ヒナが仁菜を認めたというわけでもありません。物語としては、本当に問題が解決していないと感じました。最近の作品はわかりやすい起承転結についてドラスティックに描くようなものが多い中で、かなり面食らいました。

 ただし、これは本当に難しくて、例えば物語を綺麗にハッピーエンドで終わらせるなら、例えば対バンもうまくいって最後に武道館ライブのシーンで終わるみたいないわゆるサクセスストーリーになるような展開もあり得るかもしれないな、と思ってはいました。
 でも、この作品に限っては、そういう終わり方はしてほしくない、と心の中で思っていました。というのも、この作品はいわゆるロックを題材にした作品です。主人公も含め、社会にうっぷんや不満を持っていたりりしながらも、それがどこか自分がおかしいのかもしれない、という感じを持ちながらも、それでも自分は間違っていないんだって音楽にのせて叫ぶ作品です。12話のラストシーンもそうでしたが、結局桃香さんが思い悩んでいた「自分の持ついい音楽と売れる音楽」のギャップは埋まりませんし、これを例えば成功ハッピーエンドにしようと落とすのであれば、それはきっと何かが、桃香さんの何かが壊れちゃうんじゃないか、という不安もあり、そういった意味で最終話の落とし方には時間を書けて考えれば考えるほど納得してしまったわけです。
 結局、自分たちが叫んだって社会はそううまく変わらないし、頑張ったからってなんでもうまくいくわけじゃない、それだったとしても、少なくとも自分たちはこれからも叫び続けるんだ、という「意志」を表明する、ということは、すさまじくリアルですさまじくらしくて、ああ、これこそがこの物語の終着点なんだ、と思うようになりました。トゲナシトゲアリの物語に幕を下ろすんじゃなくて、物語の先の延長戦の未来はわからないけど、ただひたすらにリアルを生き続けるんだろうなという思いを想起させられるような、そんなラストは、あまりにもふさわしいのではないかと思って、納得しました。そういう意味でサブタイトルをもう一度見てみるとなるほどなとうならざるを得ません。

では、何が「終わった」のか


 トゲナシトゲアリの物語が終わっていないんだったら、じゃあ13話でこの物語の何が終わったのか、それは「高校生のころの仁菜」なんじゃないかな、と思います。

 ガルクラは、最初から最後まで、どこまで言っても仁菜の視点で物語が描かれています。すばるにスポットに当てたかいもあれば、智ちゃんとルパさんの回ではかなり二人の会話シーンが中心でしたが、それでも全体の7割くらいは仁菜を通してみた世界を表現していました。それであるのであれば、最終回は仁菜を通した世界の中で何かが「終わる」というのが、しっくりくるわけです。

 そして、家族とのやり取りなんかはすでにある程度吹っ切っていたので、あとはたびたびにおわせていたヒナとの話だけがその部分で残件だったわけですが、家族の方はさておき、絶交した友人とそんなに簡単によりを戻せるわけがありません。現実はそんなに甘くないし、正論を振りかざしながら生きている人よりも売れている人の方が偉かったりする場面も大きくあります。(もちろん偉いの定義なんて人それぞれですけどね)
 実際に仁菜とヒナがあって会話したシーンでもわかる通り、「友達だけど正論振りかざしてうざいやつ」というヒナの評価は変わっていないし、そういう意味では彼女もなんとなく後ろめたさを感じながら多分ここまで生きてきたんじゃないかなと思います。だからこそ、仁菜に「自分が間違ってました」と言わせることにこだわっていたのかもしれません。仁菜に意地を張らせてー、という作中の言及の話もありますが、もし万一仁菜が折れたとしたら、あの時に感じた後ろめたさが少しでも和らぐのかもしれないな、ということなのかもしれません。

 結局、仁菜はどこまで言っても正論大魔王モンスターだったわけで、ヒナと直接仲直りをすることはできなかったわけです。それでも、彼女はz分のしたことを後悔はしていないし、胸を張って誇らしい気持ちは大事にして、それで生きていくんだということの決意を新たにしました。

 ただ、自分で話をしていて気づくわけです。「あ、ヒナもダイダスが好きだったんだ」と。
これが多分仁菜にとっての大きな救いになったんじゃないか、ということですよね。一番仲良くしていた友達から絶交されて、高校のころの話は本当につらい思い出しかなかったけれど、そうじゃなかったんだって。あの時にヒナとダイダスの音楽を聴いて一緒に過ごした時間はあったんだなって、それでヒナとなんとなくわかりあったような気になって本人の中で高校生のころの話に踏ん切りがついた、ということで。ここまでのむしゃくしゃした部分がなくなって、いよいよバンドマンとしてのはじまりを迎える、というのが、この作品の落としどころなんだなって。
 結局根本的にヒナと仁菜が何かを解決していなくてもいいんです、人間関係の改善には本来ものすごく時間がかかりますし、それでなくてもこれはあくまで仁菜の物語なのですから、周りからどう見えていようと、たとえ根本的な問題が100パーセント解決していなかったとしても、彼女の中で踏ん切りがついたら、それで終わりでいいんです。すげーや。

 ということで、ガールズバンドクライの最終回を見て一晩うんうん考えた結果の感想となります。
 この最終回だけじゃなく、道中もものすごい素晴らしい作品だったので、なんかしらの形でコンテンツをにお金を落としたいなと思いました。いいものが売れるとは限らない世の中だし、こんな考えは他人に強要するものでは全く一切ないんですが、自分はいいと思ったものには売れて成功してほしいな、とそう思いました。BD買います()

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