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子どもを作るということ

おそらく子どものいるほとんどの人が、結婚した流れで子どもを作るか、子どもができたから結婚したかのどちらかではないかと思う。

「そろそろ子どもを」とか、
「2人の愛の証が欲しい」とか、
色々な理由はあると思うけど、
全て、全く全てが親サイドの理由。 

子どもは「生まれてきたい」なんて一言も言ってない。
順調にいけば数十年の人生を否応なく歩まされる。
ちょっと乱暴な言い方だけど、事実そうで。

すんなり子どもを持とうと考えられる人は、多少の浮き沈みはありながらも、生きる事に疑問を感じず人生を送ってきた人なのかもしれない。

特に子ども時代に、
自分はどうして生まれてきたんだろうとか、辛い経験をした人なら、「人生というのは辛くて長い可能性もある」というのを知っている。
そういう人は、子作りをすることに簡単には踏み出せない。
子どもに同じ思いをさせたくないから。

どちらがいいとか悪いとかの話ではなく、子どもを作るというのは、少なからず「親のエゴでもある」というのを忘れないでいたい。
そうする事で、生まれてきてくれたありがたさも忘れないでいたい。

ちなみに私は後者の方だった。
だから結婚してから子どもを作るまでに何年も考えた。
幸い夫は理解のある人だったから良かったが、周りからは色々言われた。
私は逆に、深く考えずに子どもを作れるみんなが不思議だった。

「いや、自然の摂理でしょ?どうしてそんな深く考えるの?」と理解できない人もいるかもしれないけど。

子どもを作らない理由は人それぞれだが、私はそんな感じだった。

そんな私が子どもを持つ決心をできた1つの記事が、下田美咲さんの、
「子どもを作るのは、人生最強の暇つぶし」
というCAKEの記事だ。
(CAKEが終了したので今は消えてしまった記事だけど、おそらく彼女の著者にも書いてあると思う。)

「子どもを作るのは、人生最強の暇つぶし」
なんとも耳障りの悪いワード。
でもこれは、彼女の読者獲得のための客寄せパンダのようなワードだと思う。

実際には彼女は子どもを持つにあたって、
「悪いけど私の人生に付き合ってもらう。」
という気持ちで、何不自由なく育てられるだけの貯金だとか、精一杯の準備をしてから子どもを作ったそうだ。

「親のエゴ」だと認めてしまうのが気持ちいい。
誰もが認めたくない核心を認めて、最善をつくす所が、なるほどと思った。

彼女自身も、親の金銭的な事情で諦めないとダメなことや、生まれてきたくなかったと思った過去があったから、そう考えるようになったそうだ。

そして、どんなに楽しいことも、ある程度の年齢になれば、新鮮味を失う。
子どもというのは、そこに新鮮なイベントを与えてくれるという考えらしい。


それから、子どもを諦めた歳上の方の言葉も私を後押しした。
彼女は、旦那さんがそこまで子どもを望んでなかったようで、子どもはどちらでもいいなぁと迷っていた人。その人が、
「子どもはどっちでもいいと思っていても、いざ産めない歳に差し掛かると、欲しくなるのよ。だから迷っているなら産んでもいいと思う。」
と言ってきた。

確かに、「産まなかったら良かった。」とは思わなくても、「産みたかったな。」とは思いそうだなとその時に感じた。

かくいう私は、子どもを持ち、ただの消化試合のような人生が、彩りを持ち始めた。
「暇つぶし」どころの騒ぎではない。これは産まないと分からない感覚だった。

社会においてはそこまで必要とされない私も、子どもからは大いに必要とされる。
必要とされるというのは幸せなことだ。

世の中には辛いことが沢山だ。
そんな世の中に生み出してしまったんだから、少なくとも家庭では少しも嫌なことのないようにしてあげたい。
なかなか難しいけれど、そう心がけている。

子育ては大変だし、怒ってしまうこともあるけど、私のわがままにお付き合い頂いて生まれてきてくれて、感謝しかない。

これから思春期を迎え、反抗期があり、子どもではなく1人の人となるまでに、そんな気持ちを忘れてしまいそうになることもあるだろう。

でも、このことはなるべく忘れないでいたい。


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