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地獄ってあったんだ。

 ないと思っていたのです。いや、「ない方が良い」と思っていたのでしょうか。

 人は罪を犯すと、閻魔大王に裁かれ地獄に落とされると田舎の祖母が言っていました。だから、罪を犯しては行けないと。

 ミケランジェロが描いた傑作『最後の審判』も、息絶えた人々を天国か地獄にイエス・キリストが審判を下す内容でした。この絵では、罪を犯してしまった人々が地獄に落ちる絶望の表情が鮮明に描かれています。いつかの私のようでした。

これはまだ、世界ができるずっと前のお話。

いいえ、世界中が未曾有な事態に巻き込まれるほんの少し後の話。

 太古の人々は、神がすべてを司(つかさど)り、そのすべてを皆に与えていると考えていました。 

いいえ、太古の人々だけでしょうか。


ほんとうにしんじられないこと、

ほんとうにしんじられること。

2つの違いを誰かが説明することができるのでしょうか。


皆さんは、『地獄なんてあるはずがない』と考えますか。

それは、神がすべてを私たちに与えたと考えていた太古の人々と同じでしょうか。

 バイオテクノロジーが発達した現在。神と人間の領域がわからなくなってきました。

神はすべてを創り出す。 

人間は、自らの手で自らの命の起源-ORIGINAL-を知る日が近づいています。

それは、すべてを司る者に対しての強い抵抗です。

 我々は我々である前に、我々が我々だということを知るべきでしょう。

フランスの画家、P・ゴーギャンの言葉に

『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』

というものがあります。


それ遥か昔のことではないでしょう。 

そして遠い国のちっぽけな絵空事でしょうか。


 決してそのようなことではありません。なぜかって。きっと、私たちにはわかるでしょう。

私たちには、存在し得ないと考えていたことが、今目の前に存在すること。 

そして、幼児だった私に田舎の祖母がしつこく言っていた『罪人は地獄に落ちる』の意味。

審判が今、下されるのでしょうか。

いいえ、それは既に下っているものです。

『地獄』という、現実世界にあるはずもないモノを実際に創り上げらることを、私たちは「初めて」知るのです。





地獄ってあったんだ。 

 バイト帰りの夕方、地下鉄の改札口で、いつものようにICカード乗車券を「ピッ」としようと思ったら、「ピッ」と鳴らなかった。

 「ピッ」と鳴らずに立ち止まった私に、私の後ろの多くの人々が怒号を浴びせた。とても泣きそうになった。おしっこを我慢していたせいもあり、その場で失禁をしてしまった。そのことにより、更に私に対する怒号が飛び、more泣きそうになった。

きっと、前日のうちにIC乗車券の有無を確認しなかったことと、我慢した上の放尿の瞬間が気持ちいいから膀胱(ぼうこう)破裂の直前まで尿意を我慢したことが原因だろう。



地獄ってあったんだ。



-終わりで酢-


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明るい赤ちゃん-ちゅー

ただひたすら、ちゅーをしたい。という曲です。 

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