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旧石狩小学校円形校舎

8月22日に旧石狩小学校円形校舎の見学をしてきました。

見学をしようと思ったきっかけは下の北海道新聞の記事を偶然Facebookで目にしたからです。

見学の申し込みは1週間前までに「いしかり砂丘の風資料館」(0133・62・3711)に予約が必要です。このことをすっかり忘れてしまっていて、近くの入浴施設に行きがてら覗こうと思ってできませんでした。

見学は2021年7月10日(土) ~ 10月31日(日)の間の毎週水、木、土、日曜日です。
緊急事態宣言中の見学はできるのかと言うことも含めて、一度問い合わせをした方がいいと思います。


旧石狩小学校は現存する道内の円形小学校で最古と記事にあります。円形校舎は1956年に建てられたとのことです。


実際に見学した日にちより3週間前の外観です。


こちらは2019年春先。まだ小学校として機能していました。

流石に敷地に入るのと問題なので、外側から撮りました。右側に写っているオブジェが気になりました。このオブジェの解説もどこかにあったと思いましたが、それ以上に興奮する内観だったので、記憶からするりと落ちてしまいました。それはまた今度の課題として楽しみに取っておこうと思います。


玄関に入ると円の中心部に導かれる廊下にテンションが上がりました。最初から相当ヤバいアプローチです。展示されているものも早速気になりますし、まだまだ入り口の興奮も堪能しておきたい気持ちもあり、時間を気にすることなく堪能できたのならば、10分くらいそこに佇んでいたかったです。

見学自体は私と友人だけで、あとは新聞記者さんと案内してくださった学芸員さんくらいなので、駄々をこねようと思えば・・・そこそこの大人なので、できませんでした。

中央ホールで迎えてくれた・・・子です。(動物名が出てきませんでした。)首にぶら下げているプレートの左側に円形校舎のマスコット「まなびー」です。腕にコブをつくって頼もしい姿です。

私が反射して写っているのはご愛嬌として・・・
昭和30年の給排水配管図。青い図面を見るとやたらとテンションが高くなってしまいます。この図面を見ていて気がついたのは、1階と2階のトイレの配置が違うことです。あえてそういうデザインにしたのでしょうか?
建築当初はこういった部屋割りだったことがわかる貴重な資料でした。


学生さんがつくった模型図。完成度がとても高いです。玄関入り口から私のはやる気持ちに油を注いだ模型図です。この授業、私も受けたかったです。もちろん卒業生ではありませんが。100歩譲って、建築で生業をたてている私が指導という名目で一緒に作りたかったです。日本語がおかしくて申し訳ございません。それくらい興奮していました。

1階ホールに展示されていた資料です。大きいいろはかるたはかわいいし、地域紹介のコーナーは黒で描かれた道が味を出しています。この日は他を見て回る余力がありませんでしたが、今度はこの紹介コーナーをもとに散策してみようと思います。

魅力的な階段。これを見て萌えないはずがないです!!玄関から入って右側にある階段が上り専用階段。奥の方にあるのが下り専用階段。動線を分けて安全に使えるようにとの配慮でしょう。こういった階段は「名建築で昼食を」に出てきた「アンスティチュ・フランセ東京」を思い出します。



2階ホールの天井。この穴たちは、かつて窓になっていて陽を注いでいたらしい名残です。

2階ホールの床にも丸い跡があります。陽の光は2階まで注ぐだけではなく、1階まで注いでいたという形跡です。
天井にある無数の丸窓から光が注がれている光景を想像しただけで、鳥肌が立ちます。この段階で既に興奮しすぎて、息絶え絶えでした。それくらいテンションが上がる情報でした。

いよいよ教室です。
教室一つ一つ微妙に違います。

最後にはこの人数だったとのことです。マンモス校で小学校を過ごした私といろいろな意味で感覚が違うのだろうな。大量生産時代に学生時代を過ごすと生きぐるしくてギグギスした時代。第二次ベビーブーム時代に円形校舎は姿を消したと何かの記事で読んだことがあります。円形校舎は建築的に効率的でなかったからです。
私は子供時代に体感した環境はのちの性格や経験にかなり影響を受けると考えていました。学芸員さんの話では、円形校舎で育った人はそれが当たり前と思って四角い学校に違和感を覚えるという話をしていました。小学校までの空間経験は、どのような思考経験になるのだろうか興味が湧きました。

閉校時に教員から子どもたちに残したメッセージが残っています。こういうのはずっと残して欲しいですね。

2階も中央ホールに向かう廊下がかっこいいです。
かつては陽の光を放っていたという想像をすると尚更かっこいいです。

保健室。意外と広いです。使えそうなものは、統合先の学校に持っていかれたと聞きました。

身長計と座高計。
座高を測る謎は小学校の時から感じていましたが、意味がないということでもう座高は測られないですよね。ある意味時代を伝える貴重なものです。

教室の後ろにある棚。ちゃんとした木材で作られています。そのため、節くれだって怪我をする子も多かったと聞きました。私個人的な考えですが、ちょっとした怪我は学習になって。その後注意するきっかけになるから、マイナスな物事ではないと思っています。その後の怪我の処置はとても大事ですが。

魅惑の教材室。
大きな分度器、大きな三角定規、大きなそろばん。こういう教材大好きでした。
ほかにもたくさんの教材がありました。わかりやすく教えるために作られた教材はいろいろな人の思いが詰まっていますね。

図書室の机。台形型の机を二つ組み合わせて六角形の机になります。大工さんがつくった机なんだろうなと思いました。

放送室。放送室にはたくさんのラジカセが保管されていました。いろいろな機材はときめきますね。子供の時に放送委員はやってみたかったです。


歴代の校長先生。初代から数代はヒゲ率高かったです。時代を感じさせますね。


職員室。年季のあるかき火気札。コンピューター室とプレイルームが新顔。「図書室」の札の剥げ方が堪らないです。

事務室の隣に用務員室?営繕室?があって、学校の修繕をしていました。当時の面影がなくならないように慎重にメンテナンスされていたとの話でした。そういった思いがあっていい状態で残されているのは、素晴らしいとしか言えないですね。

円形校舎の説明。今後、こういった事を伝える郷土資料館になるようです。

当時から注目度の高い円形校舎。各方面から見学者がたくさん訪れたとありますが、今後もたくさんの見学者に訪れてほしい。

窓枠がすごい!施工にいくらかかったのだろうか。構造はどうなっているのか。非常に気になります。いつの時代に改修されたのかも気になりますね。復元してほしいです。

歴史を感じるホース格納庫と消火栓。

とても充実した見学ができて、案内してくださった学芸員さんに感謝です。かなり気に入ってしまったので、また予約していこうと思いました。


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