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「沢田マンションの冒険」を読んで



「沢田マンションの冒険」をやっと読み終えた。

本当は #ドハマリ6  前に読了する予定でしたが、内容が濃くて・・・濃くて・・・とてもじゃなかったので。

気持ちのゆったりした時にでも読もうと思って寝かせておいた。

沢田嘉農さんのマンションに対する思い、著者のマンションを通して感じた嘉農さんに対する思いが、入居者の思いが人情レベルで重い。悪い意味の重さでは無くて、感情を揺さぶる重さ。

都市部を生きる現代人は目の前にいる人に対して情が薄いと言われている。私も困っている人を目の前に躊躇して助ける人が現れるのを確認して去っていくタイプの人で、あまり他人とかかわりを持って生きていきたいとは思わなかった。SNSがあれば1日中誰とも会話せずに生活できる世の中だし、それで不便を感じた事は無かった。

しかし、商店街の近くに引っ越してからは、人とのかかわりが面白いと思うようになった。常連さん同士でやりとりされる会話やはじめての人でも気軽に話しかけられる感じが「昔ながら」の血のかよったものに思えて新鮮だった。

大学時代にはよくある「都市づくり」「街づくり」などをテーマにした設計課題を与えられていたが、人づきあいを積極的にしたいというニーズがどのくらいあるのだろうかと思っていた。乾いた学生だったからそう考えたというのもあるが、建築家主体の街づくりや新たな間取りの提案、生活の提案はされてきている。しかし、それが定着しないのは、そういった暮らしをしたいという人が増えなかったのと、多くの人にプレゼンできなかったからではないだろうか。もちろん予算や収益性がなかったからという理由もあるだろう。

つくづく文化の流れ方をみると多くの人に知ってもらって体感してもらうということは難しい。

今当たり前になっている「nLDK」の考え方は昭和30年頃、住宅不足を解消する目的で「日本住宅公団(現UR都市機構)」が標準プランの「51C型」を採用してそれが定着させたものと言われている。

昭和30年代から続く高度成長期には人は都市に流れ、住宅の大量供給が必要であった。画一的なプランであったが、合理的な生活様式に憧れを持っていたようにも思える。私も物心ついたときの環境がそんなところだった。

原風景としての家族の在り方を思い出すのはぼんやりしていても、その団地にいた記憶が多い。

それだけ生活をするところは、後々の性格形成に大きな影響を与えるのではないかと思っている。

話はかなり脱線したが、「沢田マンション」には、失いかけている人と人とのリアルなコミュニケーションがあると感じた。それは沢田ファミリーの人柄と作り上げた建物から生じている。コミュニティをつくるにはハード(建物)面と人(ソフト)両方が必要だ。建築をやっているものは、コンセプトを持って建物をつくるのは、そんなに難しい問題ではないと思っている。難しいのは人と人との関係をいかに築いて持続させていくかだと思っている。

結局、建築だけではコミュニティは成立しないのである。建築家が数多くの文献を読んで分析して、考察して、経験を積んで、理論武装したところで、机上の空論でしかなかった。近代建築の五原則(新しい建築の5つの要点)」を提唱したル・コルビジェの考えと同等なものを沢田嘉農さんは感じとってそれを軽やかに実現した。建築基準法違反は大きな問題であるが、そういったものに縛られないで自由な発想だからこそできたのではないかと思う。専門家の手の中にあっても建築はしばしば一般の人の感覚と乖離して暴走してしまうが、(ある意味で嘉農さんの暴走ともいえるが)作り手と住み手の距離が近く、実際暮らしてみて感じた不便な事やニーズの変化に対応して改善していく潔さは作り手と住み手が一緒でなければできないことだと思う。建築家がはじめて建てる建物は実験住宅として、いろいろと試行錯誤して建築されているが、そうそう住み替えをしている例は少ない。賃貸マンションの場合は、住人が固定していないので、作り手はそこに住むと思われる人を建設段階では想定するものの時代の変化やニーズの変化には、対応できていないのが現状である。住宅は常に変化するものとして嘉農さんが捉えていた視点は凄いとしかいいようがない。

いろいろな常識や概念が壊されてしまって、何が書きたいのか自分でもわからなくなっている。

そういった専門家は多いのではないだろうか。私は本と写真と文章のみでしかまだ感じられずにいる。本物を見てしまったら、どうなるだろうかと考えるとわくわくするし、恐ろしくもある。

自分の終の棲家としてコレクティブハウスを建設したら孤独死から逃れられるのではないかと考えていたが、その考えが浅はかで表面的なものであったと痛切に思い知らされた。血の通った立派なコミュニティは、作り手の熱い思いが必要なのだと。

いつか、近い未来のうちに「沢田マンション」に行ってみたいと思う。

追記:読んでいる間に沢田マンションを訪れて、沢田夫妻と話している夢をみた。これが妄想家たる妄想である。



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