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龍宮閣に思いをはせる

人は何故、崖に建物を作りたがるのだろうか。
そんな危険なところにわざわざ造らなくてもいいのではないだろうか。

これは、凡人で貧乏人で建設関連の仕事をしている観点だろうか。

どう考えても工事が大変である。どれだけの人が滑落したのだろうか。
いいお金が支払われたのだろうか。いろいろな疑問が思い浮かぶ。

建築主はそういったことは考えないだろう。注文を発注して、出来上がるのを待つ。そういう感じなのかな。建設関係の仕事をしていると、造る側でしか考えられなくなる。そうなると、アイディアが凝り固まってくる。法律や構造、施工、金額的なことを考えることは重要なことだけど、発想しようとして細かいことを考えて即、思考停止になるのは面白くないことだ。いつもそういった間でもやもやしながら考える。

そんな時に、自分では考えられないことをやってのけた人たちの建物やその跡地に行ってみる。

見ていても疑問しか起こらないけれども、建築主のお客様をもてなしたい気持ちや感動してもらいたいという心があるのだろう。こんな挑戦的な建物を造ったのだと思われたい欲求あるのだろう。工事を担当したものたちはスケールの違う仕事に武者震いをしたのかもしれない。
昔の職人たちの意気込み等の文章を読むと感動と尊敬しかない。職人じゃないからわからないのか、時代的なものでわからないのか、わからない理由が私にはわからない。だから、惹きつけられる。

『夢乃里』『龍宮閣』というネーミングも人々に楽しんでもらいたい気持ちだったのだろう。日本一の娯楽施設をつくりたかったのかもしれない。日々の仕事の疲れやストレスを発散できるところが必要だと思ったのかもしれない。大衆娯楽の文化史も調べてみると面白いかもしれないな。

もし、昭和27年に火事にならなかったら、いつ頃まで存在できたのであろう。そういった、『もし』を考えると妄想が止まらない。

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