終わりよければ全てよし

ウイリアム・シェイクスピアは

沢山の優れた作品の中で

数々の名言、格言を残した

偉大な劇作家で詩人ですね

(俳優でもあったそうです) 


その数々の名言は

私達を励まし

勇気づけてくれます 


私は中でも

「終わり良ければ全てよし」

という言葉が1番好きです


これこそ生きていく上で

毎日の覚悟として

心に秘めておくと

何があっても最後には

「色々あったけど、、、

思い返せばどれも

良い思い出だ亅

そう、納得して

巡り合った全ての人

もの、事柄に感謝して

死んでいくのが私の

理想だからです  


シェイクスピアの実家は

イングランドの実業家で

お金持ちでしたが

やがて、父は破産 

一家は苦しい生活と

なったようです 


その為とは

思いたくありませんが

シェイクスピアは

18歳で26歳の裕福な家の

お嬢様アン・ハサウェイ

と結婚(出来ちゃった婚)

実家は大変助けられた 

そうですね


アン・ハサウェイと言うと

今は大変人気のある

あの美人女優さんを

思い出しますね

といっても彼女は正式には

アン・ジャクリーン、ハサウェイ

なのですが 


18歳のシェイクスピアが

惚れ込んで  

年の差も厭わず

結婚した人なのですから

どんな美人さんだった 

のでしょうね!


人生って!

どんなに

豊かな家に生まれても


生涯を閉じる時

酷く貧しく

周りに誰も

看取ってくれる人もなく

独り苦しんで亡くなって

いく人もいます


生まれ育った時は

蝶よ花よと 

大切に大切に育てられても

苦しい人生を

喘いで生き抜き

最後の最後まで

二度と浮かび上がれずに

亡くなった人


それが私の祖母です

沢山の山々そして

田畑を幾つも所有する

大庄屋の一人娘 

だった祖母は

跡継ぎの為

養子の旦那様を迎えますが

一緒になってすぐに

その男性は

病気だったのでしょうか?

亡くなってしまったのです 


次に養子となった

2番目の旦那様とは

とても仲良くて

またその旦那様は

人柄もよく働き者で

オマケに結構な

男前だったそうです


娘夫婦二人があまりにも

仲睦まじく幸せなのを

なんと実の母親が

酷く嫉妬して

意地悪の限りをしたそうです


あまりの酷さに

二人は手に手を取って

東京へと逃げ出したのです 


明治のはじめの頃なので  

学歴もなく保証人もない

彼には、どんな仕事が

あったのでしょうか? 


毎日仕事を探しに出ていた

旦那様ですが

田舎からポット出で 

身元保証人もいない

どんなに酷い事を

あちらこちらで言われて

傷ついていたのか

想像するだけで

気の毒に思いますが


とうとうある日

仕事を探しに

出掛けたまま

帰らぬ人となったのです


多分、亡くなったのではなく

二人の子供を抱え

家事一つ出来ない

お嬢様育ちの妻との

苦しすぎる生活から

逃げ出したのか

はたまた

あまりに男前だったので

他の女性にホレられて

家族は心配だけれど

自分には養う事も

出来ないのを  

絶望してなのか?

行方知れずになったのです


私は勿論

地球の空気のひと粒にも

なっていなかったので

詳しいことは解りませんが

想像するにそんな具合

だったのでは?


折角二人で幸せになりたいと

東京へ逃避行したものの

現実は厳しかった


その後二人の子供を抱え

お嬢様育ちの祖母は

この世の地獄を見たでしょう 

 

母の話では

その後、親戚の世話好きな

「アワノのおじさん」という人が

祖母があまりにも可哀想で

ホットケなくて

自分の知り合いの店の

丁稚奉公に来ていた

まだ若い男性を

連れてきました


母が言うには

とてもまじめで

優しい人だった


母親が本ばかり読んで 

何もしない人だったから

家の事は

全部父親がやってくれた

と言うのです

祖母より2歳ほど年下だった


子供二人もいた再婚女

ですから

アワノのおじ、が

実家に談判して

山程の持参金を

つけて結婚させたそうです


確かに、その人は

良い人だったのでしょう

持参金の一部で

深川にお米屋さんを

始めました


当時深川は 

とても貧しい人が多く

「米穀通帳」という 

名目で無料でお米を手に入れ

お金は一切支払っては

くれませんでした


貸し倒れです

お金を請求に行くと

泣きつかれ

黙って帰ってくる


それなので

お米屋なのに

自分の家の子供達に

食べさせるお米もなく

極貧でした


私の母親が生前

「私の父親はとっても偉い人

だった優しい人だった」と

毎度のように口癖のように

そう言ってから


母親は何にもしない

人だったと言うのです


私は心の中で思っていました

「そりや、お嬢様だもの

じいや、ばあや、がしてくれる 

から必要なかったのよね」と


でもある日

「私が男なら

自分の家族を守るため

そんなバカな商売なんか

しない、家族を守ってこそ

父親だもの」

「自分で汗水垂らして

稼いたお金ならそんな事

出来ないよ」と 

キツイようだが

私は母に言ったのです


「そうか、そんなこと今迄

考えた事もなかったよ」


母には色々聞いていました

幼い頃から

銭湯で溺れかけた為

片方の耳があまり

聞こえません

貧乏でお医者さんに

行けなかったので放置


お金を家に入れるため

お金持ちの家に

女中奉公に行った等など 

 

母の下に一人の妹がいて

母と違い

色んなものを欲しがり

割とわがままだったから

妹に

和裁を習わせるために

自分が働いたとも


祖母は極貧の中

文句1つ言わずに

祖父と仲良かった

というのです


妹の下に

次々男の子が3人

産まれたそうですが

皆1歳を迎える事なく

亡くなっていった

そして

最後の子を産んですぐ

祖母も亡くなったのです


お米屋さんだけど

食べ物もろくになく

お乳も出ずに

たまに出たお乳は

祖母の病気のお乳

なのですから

ちゃんと育つ

訳がありません

苦労に苦労を重ね

何も欲しがらず

愚痴の一つも言わずに

亡くなっていった祖母が

私は可哀想でなりません


でも、もしかしたら

それでも祖母は

「終わりよければ全てよし」

の気持ちで

亡くなって行ったのかも

知れません 


祖父は心から

祖母を愛していたので

祖母がなくなってからは

とても元気なく

すぐに後を追うように

亡くなってしまった

と言うのですから





 









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