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野崎参り

野崎参りは屋形船で参ろ

どこを向いても菜の花盛り

粋な日傘に 蝶々がとまる

呼んでみようか 土手の人


野崎参りは屋形船で参ろ

お染久松切ない恋に

残る紅梅   久作屋敷

今も降らすか 春の雨


野崎参りは屋形船で参ろ

音に聞こえた観音ござる

お願かけよか うたりょか滝に

滝は白絹 法(のり))の水


1935年当時の人気歌手

東海林太郎のヒット曲です


野崎観音慈眼寺と言う禅寺で

昔中国から来た婆羅門僧正が

「野崎はお釈迦様が初めて

説法を説いた

サルナート(ハラナ)に似ている」

と仰った事から


それを聞いた行基様が

自ら十一面観音像を

お彫りになり安置したのが

野崎観音の始まりだそうです


幾多の戦乱のため荒れ果て

1565年には三好松永の兵により

焼き払われ全焼

ご本尊の観音様のみ残り

長い間小さなお堂のまま

お祀りしていました


元和2年お寺が復興され

元禄宝永の頃

野崎参りが盛んになり

お寺は栄えました


歌に出て来る

お染久松とは 

油屋のお嬢様が

丁稚と恋をし

あの世で結ばれようと

心中した物語のことです

野崎観音には

お染久松塚もあります


他に十六羅漢像、薬師堂

などがあり

有縁無縁のものに

感謝のお経をあげています


ご本尊の十一面観音様は

年三回の御開帳で

(初参り1月野崎参り5月

千日参り7月)

拝観することが出来ます


粋な日傘に蝶々がとまる


この歌詞は

江口の君(元遊女)像を

粋でお洒落な女性たちが

安産祈願 婦人病の祈願 

縁結び 子授け祈願

などの為お参りする事が多く

その様子が

歌詞に使われたようですね


今でいう地域振興の

一つで地元の有志が

作った歌だそうです


お参りするために

船で行く、、、

とても楽しい

お参りの旅ですね

それを眺めて

微笑ましく思う

地元の方達の温かさも

伝わって来るようです


亡くなった私の母は

よくこの歌を

口ずさんでいました

それを聞いて私は

子供心に

「母にも懐かしい

青春の思い出が

あるのだろうな」

と感じていたのです









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