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横浜の父、高島嘉右衛門

高島嘉右衛門は江戸三十間町の

材木商の長男として生まれ、

幼い頃から頭脳明晰、

実行力溢れる 

魅力的な方だったそうです。


頼まれて

横浜に伊万里を売るため

居を移したそうですが、

日本を愛し、横浜をこよなく愛し、

様々な事業により横浜を発展させました。

そのため横浜の父と呼ばれていました。


当時の政治家に

熱心に鉄道の必要性を説き、 

横浜の鉄道用地の埋め立てをしました。

今でも、

高島町という名が功績を伝えています

高島公園のあたりが埋め立てた土地です。

(デパートの高島屋とは関係ありません)


鉄道用地の埋め立ての他

瓦斯会社を作って日本初のガス灯を

横浜の街に灯しました。

そして教育にも熱心で学校を作り

そこから逸材も生まれています。


民間人で初めて

明治天皇から正五位勲四等を賜わり、

政界人にも多数の親交を深める

人びとがいましたが、

政治に興味なく

愛知県熱田のセメント工場や、

北海道炭鉱鉄道の社長をつとめるなど

実力あるやり手の実業家でした。


若い頃からやり手すぎて頭が回り過ぎ、

小判の密売に関係してしまいます。

そして6年間投獄されました。


でも、その6年間で

易学を極めて

ますます冴え渡る頭と易学で、

日清、日露戦争を予知したり、

親交の深い当時の首相、

伊藤博文のロシア行きを

「暗殺されるから、行くな」

と止めたそうです。


伊藤博文は死ぬ覚悟でロシアに向かい

暗殺されたのです。 

易学を利用していて

株や投資にもめっぽう強く

負け知らずです。 


まだまだ現役でやれそうな40代半ばで

実業家を隠退、

「高島易断」を著し、易学に専念しました。

号を高島呑象と言いました。


83歳で亡くなるまで、

高島易断の創立者として、易者で

生涯を行き抜いたのです。


人間としても人格者で、

占い師としても

深い知識と洞察力で、

人々を導いた立派な方ですね。

ちなみに、今の高島易断とは

あまり関係が無いようです。



愛を込めて…♪
一日一回、自分の魂を褒めてあげましょう^^

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