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二礼二拍手一礼

日本では太古の昔から

自然に対する畏怖による

自然信仰ですから

ありとあらゆるものが

神様であるので

八百万の神様が

いらっしゃいます 


山も神様、海も神様  

岩も神様、川も神様

当然、田畑にも神様がいて 

いつでもどこでも

私たち人間に寄り添い

見守って下さるのです 


なので私達人間も

懸命に生きていく事が

神様への感謝として

当たり前のことでした

仏教が入って来てからも

神様を信じ

仏様も信じて来たのです 

「神も仏もない」

 などという言葉が表すとおり

どちらも大切に信じて来ました


ですから明治になって

悉くお寺が壊されてしまうまで

お寺と神社は寄り添って

同じ場所にありましたね

(今でも寺社と神社が同じ所に 

あるパワースポットも残されて

おり、人気ですね)


庶民は 

お願いのお参りの祈りに

「神様、仏様  」

と手を合わせて 

真摯に願ったのです


ですから今のように

二礼二拍手一礼

などというお参りの仕方は

特に決められて いませんでした


一体いつから?

誰が先頭に立って

今のように

二礼二拍手一礼になったかは

定かではありませんが  

確か伊藤博文が

国民に二礼二拍手一礼の

お参りの仕方を 広めよう

と言ったそうですが 

 当時はそれ程

浸透しなかったのですね


省みると 私が若い頃には

ただ鈴を鳴らし

お辞儀をしてから

お賽銭をそっと入れて

両手を合わせ

アレもコレもと

沢山の願い事を

していましたね 

わずかのお賽銭で

本当に欲張りでしたね


以前は

皆さん一様にそうやって

深くお辞儀をして

後は手を合わせ

お願いしていましたよ


今の様に形ばかりで 

後ろの人を考えると

手を合わせ直ぐお辞儀をして

立去ると言うように

ゆっくりお願いも出来ずに

帰るのでは

少し物足りない思いがします 


多くの神社で

私達がお参りする時に

二礼二拍手一礼で 

参拝しますが

私は個人的には

やはり手を合わせ

日頃の感謝の気持ちや

お願い事の一つや二つを

しっかりお祈りしたい もの

ですから

毎月のお朔参りには

早朝のあまり人の居ない

時間に

ゆっくりお参りさせて

頂いています


朝の神社の空気は

澄みきっていて最高です

沢山のエネルギーを

頂いてスッキリして

帰るのです


神社に限らず何事も

心が籠ったものでなくては

意味が無いですものねえ


けれどある程度

形と言うものは必要です

それは傍から見ても

美しいものですからね


そして私たちは

形から入る大切さも

わかっていますからね  

だからといって

形ばかりにこだわることも  

無いように思います


愛を込めて…♪
優しい、自分の魂を褒めてあげましょう^^

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