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喜づき


新しいことを学ぶこと、人と出会うこと、全てが新鮮な毎日。

休学して1ヶ月が過ぎようとする。
離島に来てシェアハウスに5人で住んでいる。平日はインターンとして行政で働く。仕事終わりに釣りやスポーツをしたり土日は読書や農業や漁業やお手伝いをしたりする。出勤・帰宅は片道30分歩いて自然を感じることがルーティン化されている。

楽しいことやワクワクドキドキがたくさん。
誰しも感情は揺さぶられるのは毎日だと思う。

だが、自分自身のコンフォートゾーンにいる人や物、場所から物理的に距離を置いた私は、新しい環境(シェアハウス含む)で自分の恐れているもの、石橋を叩きすぎてしまうような弱さ、自分にとって嫌な部分が浮き彫りにされたようだと感じた。

新しい環境で自分を責め、その悔しさからか、誰もいない山の上で牛をみて何故か涙が溢れて止まらないこともあった。

感情を押しころしていたことに気づいた。

気づかないふりをして、
誰にも迷惑をかけずに、目立たないように、
争いが起こらないように。

自分で作り出した恐れから逃げようと。

魚を捌く機会ができたこと、
本を読むようになったこと、
鳥が平気になったこと、
今まで作らなかった料理をつくったこと、

確実に今までの環境とは変わってできるようになったこともある。

どんな自分も受け入れていこう。
自分を抱きしめないで誰が抱きしめる。


喜怒哀楽以外にもいろんな感情があってそれを感じてもいいよって。

自分を大切にしないで、他人にやさしくはありがた迷惑だよ。

-——

去年長崎で出会ったS君が私の考え方を個人的に記事にしたいと。
私なんかでいいの?
と、何度も聞いたが大丈夫の一点張り。
いくつかの質問に答えていく、
大切にしている言葉、尊敬している人など。
私は話すこと、書くことに対して苦手意識を
持っている。かなり。特に話すこと。

ツッコミ以外(必然的)で自分の話す時間があったとして、そこに文を構成していくこと、それを伝えるときに緊張することが殆ど。
かなり解けたら話すけれど。

彼は辿々しく言葉を紡ぐ私のことを待ってくれていた。不安な気持ちが混ざり合いながら、
まとまりのない会話を続けていく。
役に立たなくて申し訳なさを感じたまま、
インタビューが終わった。

そして昨日、私が大切にしていることの記事を
見せてくれた。
感動した。あの離れ離れになったような言葉たちをまとめてくれた。彼は言語を操ることが得意なようだ。彼なりの表現で。ありがとう。

私は私を全力で生きて、
できない部分は補って貰えばいいんだ。
これは言葉以外でも。
他力本願になりすぎず。いい塩梅で。

自分にはできないことがある。苦手なこともある。でも、なんでもひとりで完璧にしようとしていた。
自分の可能性を信じ、できないことなどないと言いたいところでもあるが、限度がある。

だからこそ、ひとりで何でもかんでもやろうとするのではなく、たくさんの人とコミュニケーションをとり、伝えて傾聴して、人に頼りつつ協働していくことが大切なんだと気付かされた。


インタビューの最後に伝えた言葉
自分はどうしたいかを大切にしていきたい。

気づけたことがよかった。喜づき。

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