読書には鮮度があり、記憶は腐っていく

突然ですが、読書には鮮度があると思っています。

鮮度があるので、当然腐りもします。あくまでイメージですけどね。

読書の鮮度。これがどういう意味なのかと言えば、簡単に書くと「記憶の鮮度」のことになります。

人は一時間経っただけで簡単に本の内容を忘却しますよね。どんなに一生懸命読み込んでもいとも簡単に忘れる。これは脳の構造上仕方のないこと。記憶は鮮度をなくし、腐っていく。忘れていくわけです。

ならどう読書するのが正解なのか。

ここでもし速読と言えば恐らく舌打ちをする人が多いのかもしれません。

個人的に速読のみでは何の意味もないと思っています。

ですが、「速く読む」ことを諦めるのはどう考えても悪手です。

そもそも考えてみてほしいのですが、しっかりと一日かけて読んだ本と、一時間で読んだ本。これらの一週間後、覚えていることにどれくらい差があると思いますか。

恐らく殆ど差はないはずです。

速く読むことは「最初から重要ではない細かな要素」や「余計な要素」をそぎおとして読みます。

しっかり読むことはそれらを含めて全体的に理解を深めることです。

しかし人間の脳はどちらにしろ、細かな点は一週間後殆ど覚えていないわけです。なのに、しっかり読み込んで何の意味があるんでしょうか?

まさか細かな点まで頭に叩き込みますか。それともノートに写しますか。それをやったら時間は膨大になり、一年に読める冊数は僅かになります。

つまりざっと読もうがしっかり読もうが、一週間後に覚えていることは変わらないわけです。どんな本? と聞かれたときに答えられる内容はおおよそ同じくらいの情報量になるでしょう。

そもそも一冊を完璧に理解するのは絶対に「しっかり一読」した程度じゃ不可能。なのにしっかり読んで時間を使うのは正直良くない。

でも速読は「読んだ気になっているだけ」とよく言われます。

しかし、一冊を一時間程度で読めば、頭から終わりまでにかかった時間が少ないため、冒頭の記憶を保持したまま、終わりまで読めるのでかえって理解が早いのです。

しっかり読むと、例えば小説なら序盤の伏線を忘れていたりしますからね。しかし速く読めばそれが起こらない。ついさっき読んだわけですから、伏線なども確認し直したりすることもありません。

この「速く読む」行為を効果的にやるには間違いなくアウトプットが大切です。

しかし速く読むと短時間で得られる情報量も多く、一気にアウトプットするには大変です。

なので一時間で本を読むのなら、15分程度の区切りでそこまでをざっとアウトプットするのが効率がいいと思っています。

そうすることで情報ごとにメモができ、記憶も常に新鮮にアウトプットができる。

言えることをまとめると、じっくりしっかり読んでも、速く読んでも一週間後に覚えていることは大差ないのなら、速く読まない手はないと言うことです。

個人的には慣れさえすれば殆ど内容を理解したまま読めるようになります。

たまに難しくうまくいかない、相性の悪い本もありますが、そういう本は今まで通り読めばいいだけですからね。

たまに一冊を一週間とかかけて読む人もいますが、しっかりアウトプットを合間合間にしてない限り、一冊読み終えたときにちゃんと覚えている人はまあいません。

まずは一冊をちゃんと読み終えること。これが大切。そもそも時間をかけるほどの価値のある本かもわからないのですから、短時間で読みべきです。よっぽど良かったら再読するだけですね。


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