量より質という言葉が死ぬほど嫌い

完全に個人的な話ですが、「量より質」という言葉がめちゃくちゃ嫌いです。

勿論、質を疎かにしていいからと解釈しているわけではありません。

しかし、この「量より質」を都合よく使う人があまりに多くて嫌いになりました。

彼らの多くはこう言います。「プロは皆量より質だって言ってる」「よく考えてらないと意味ないから」。このプロというのは何でも構いません。成功者でもいいし、プロのアスリートや作家でもなんでも。

ネットでもやたらこういった言葉を吐く輩がいます。

でもですね、量より質と口にしているプロのこなしてきた量が少ないのかと言えば全くそんなことはありません。

量より質だと断言するプロの量は、アホの考える量より遥かに多いからです。

つまりアホは十をこなすより、一を大切にすればいいと思っていますが、成功者やプロは百をこなすより十を大切にする、それくらいに「量の認識の差」があると思っています。

結局、「量より質」と言っている人は少ない量で成功したいだけに過ぎません。

受験のときも一日十時間も勉強したって質が落ちて意味ない~と口癖のように言い、周囲に同意を求める人がいました。

そうして彼の周りには「そうだそうだ」と同じ思想レベルまで落ちる人が集まるわけです。

しかし五時間しか勉強しない人が十時間やっている人にはまず勝てません。第一睡眠と食事をちゃんととってさえいれば、長時間の作業効率はそこまで落ちませんし、ちょくちょく目を閉じるなどして休憩をとれば、回復は問題なくするのです。

休憩のためにスマホ見て、余計に情報を脳に与えて疲れている人もいます。全く意味ないです。勉強しているのはあなたの意思での話であって、脳にはスマホも勉強も同じ情報でしかないのですから。

一日の限界まで量をこなそうとすると、娯楽という脳のリソースを使う時間を削り、その分回復のために運動や瞑想に回すことになります。

休憩時間にしっかりと休むため、長時間でも集中力が切れにくく、結果として量に質が伴いやすくなります。

周りに「量より質」という人がいたら気をつけた方がいいと思います。

経験上、そういう人は一緒にサボりたいだけで、あなたに飛び抜けた努力をしてほしくない人です。

本気で量をこなす人は休憩時間から睡眠、食事まで気を配ることで、質を必然的に維持します。

何にしても量をこなさないと先は絶対に見えません。

量より質という人は考えを放棄することでしか量に繋がらないと思い込んでいますが、そうではないでしょう。

絵を描くときに量をこなすため子供の落書きをひたすら描く人はいません。

自分なりひとつの工程の「完成」を考え、それに向かってこなす量を増やす。疲れますが、これしかない。

現代はあらゆるノウハウが明かされていますから、やり方が間違っていたは言い訳になりません。

最も成果のでる方法に出会うまで「ひとつひとつ」を「効果が出るかどうかわかるだけの量」までこなす。

この時点で面倒だと思ったのなら、その人は今やっている分野には向いていないのかもしれないとさえ思います。

それに。

そこまでやれたのなら、ダメでも諦めがつく。

人生は長いので、意味もなく引きずるのは勿体ないです。

量は決して根性ではなく、科学的に集中力を維持する方法を愚直に実践し、無駄な時間を捧げられたなら誰でもできてしまうこと。

勿論、それで成功するかは知りません。

でもやりたいから、なりたいからやるわけです。

なら、楽する生活は諦めようという、そんな話でした。

すごく難しいことですけどね。

私もこれからの人生、ちゃんとそうありたいものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?