写真


ある展覧会へ行くと、作品を
お客さんがカシャカシャ写真を撮っていた
え と思って展示を観ていたけれど その無遠慮な
スマートフォンのカシャ、カシャ、という音に息苦しくなってきた
なんだかとっても暴力的で残酷な刑の現場に居合わせているような気持ちになった

オフィシャルなカメラマンらしき方に聞いてみると
うちのギャラリーは写真撮ってもいいんですよ、と言っていた
そうですか、でも、でも…なんだかつらいですと言ってわたしは頭を下げた

じっと作品たちと向き合っていると、まわりは消えてその絵とわたしだけになる
残酷な音や声で騒然とした中で わたしのたましいは静かに熱くなる
こういうことのほかに、なにかよほどのことってあるのかな


何年も前に描かれた絵の中に水色の生き物たちが描かれているものがあった
あ と思う あのときの

その水色の生き物たちが立体作品となって展示されていたのを観たのが
わたしがその人の作品に出会った最初のときだった
わたしは多分大学1年生で1993年

ぐーっとひきつけられ、
がんばれば買えなくもないそれを
広い会場をぐるぐると周り10回くらい見て、また廻った
そしてそれは買わなかったのだが、すぐのちにその人の作を観る機会が増える
そもそも何かを所有したい気持ちの薄いわたしだったが、はじめて他者の作品を買おうとした
そしてそれは「買えばよかった」とかではない、何かほわ、とやわらかな気持ちを残した

それから4年後、わたしがある雑誌の表紙を1年間描いたとき編集部に電話があった
「〜月号と〜月号と〜月号の絵を買いたい」と

まだメールも携帯電話もなかった
編集部づてに聞いた「その人の友達」に電話すると
「その人」はわたしが初めて作品を買おうとした人だった
わたしが初めて作品を買おうとした人が、初めてわたしの作品を買おうとした人になった
しかしその絵はPhotoshopでマウスを筆のように動かし描いたので原画が無くて売ることはできなかった


記憶からもどり、わたしはその水色の生き物の絵の写真をカシャ、と撮った

なぜだか自分の手脚がもげたような気がした

写真はブレていた

わたしは反省する犬のような気持ちになった

そうしてあたまの中で カシャ、とシャッターを切った


鮮明なそのあたまの中の画を撮った後から
わたしは写真を撮るのを避けがちになった
空にも光にも木々や花にも動物にもヒトにも
何か無遠慮で、自分の身勝手な都合でズカズカと踏み込むような
そんな気持ちになってしまう

もうたいせつなものに対してそういうことしたくない


ごめんなさい







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?