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ゆるいつながり

noteを始めて「大切な人を自死で亡くしたあなたへ」と題して書き始めたら、いくつかの反応をいただきました。わたしもそうです、共感します、続きを待ってます、そんな言葉をいただいて、わたし自身が救われています。

21年前、母が亡くなったとき、うちの場合、父の考えや周りの状況から「(母の自死のことは)誰にも言うな」ということになり、わたしもそれに従い、一生隠して生きようと決意しました。

しばらくして、眠れなくなって、なんだかおかしいと思って心療内科にかかりました。

その診察室でも、医師(サバサバした女性の医師で好感の持てる方でした)に言うつもりはなかったのですが、3回目くらいの診察で母の自死を伝えました。なぜ言ったのかわかりません。医師はよく話してくれたね、苦しかったね、って言ってくれて、やっとちゃんと泣けたような気がします。薬を処方してもらい、少し落ち着いて眠ることができるようになりました。

あの頃のわたしは、昼間は仕事や手続きで忙しくして、感情を感じないように淡々と過ごし、夜になるとインターネットで自死遺族掲示板とか、精神科医の闇掲示板みたいなところを見ていました。一生言わないと決めたからには、自分は決してそこに書き込めないけど、たくさんの投稿を読みながら、ああ、1人じゃないんだなって感じていました。でも、わたしはここには入れない、と心を閉ざして、自分から一人になっていたように思います。

昨年、心屋認定カウンセラーのプロフィールやアメブロのプロフィールにこのことを書いたときにも、エムエムブックスの「声のメルマガ」というラジオ番組に出演させていただいたときも、いくつかの反応をいただきました。出す、と決めて、それらが公開される前、わたしは「似た体験をされた方に何かお役に立てることがあれば」みたいな、やや上から目線な気持ちがあったのですが、公開後に実際に声をかけられるとほとんど何も言えなかったんです。「そうだったんですね」それしか言えないことも多かった。そんな自分にショックでしたし、無力だな、と恥ずかしくもなりました。

だけど、そこで交わされた「実はわたしも」「そうだったんですね」にはとても深い共感があって、ゆっくり、じんわり、わたしを温めました。「それでも、大丈夫」が循環していったんです。黙っているけどつながってると感じられて、ああ、ありがたいなって思いました。

今、これを読んでくださっている皆さんの中には、身近な方の自死を体験して、「自死」という言葉でひとまとめになんかできない、ほんとうにさまざまな状況の方がおられると思います。わたしはたまたま「話したい」と思って書き始めましたが、みんながみんな隠さずに言った方がいい、とは思っていません。また、つらい気持ちをゼロにしようよ、なんてポジティブな押し付けをするつもりもありません。

あの頃、世界でたった1人だったわたしが、いろんなことをやってきて、今はこのゆるいつながりがあるんだ、開いても大丈夫だったんだって感じられています。ああ、いいな、あの頃こういうのがほしかったなと思います。そして、世界は優しいんだな、と思うことができました。

つらさは消えないけど、時間が経つと薄くなっていくよ。そう診療内科の先生から言われました。

今までのすべてに無駄だったことなんかなくて、ぐちゃぐちゃで意味わかんなくて、もうどうでもいいと思ったあの頃のわたしもぜんぶ愛しいと思えます。「大切な人を自死で亡くしたあなた」はわたしです。やっと、そう思えるようになりました。

(写真はしし座満月の前日。夕方の景色)



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