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母との再会

この文章は2018年4月15日にアメブロに投稿したものです。なので、亡くなった母とつながる体験をして、初めて書こうとしたのは2016年。そしてスピリチュアル断食合宿に参加してこの体験を初めて人に話したのが2017年です。わたしが母の死を受け入れ語ろうとしていくスタートの話。ただ、ここではまだ自死のことは書いていません。(写真は美濃市の八幡神社です)

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この後に続く文章を
初めて書いたのは2年前。
公開に迷って、
でもなぜか消せなかった。

昨年10月、
スピリチュアル断食合宿に参加して
初めて、人にこの話をした。

そこで参加していた仲間に
受け入れてもらえて
わたしはわたしのままで
生きていく勇気を出せた。

そこからまた
ずいぶん時間がかかったけれど。

よかったら読んでください。

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母が亡くなって19年になる。

私は小さい頃から
亡くなった人の思いとか
イメージを感じることがあった。

お墓参りをしたら
じいちゃんばあちゃんと話していたし、
お葬式で亡くなった方と会話できた。

でも、
ちょっとそれらしきことを人に言うと
軽く流されたり
想像の世界だよ
と言われた。
だから、自分でも
気のせい、
ということにしていたが、
亡くなった方の気持ちが
伝わってくるのは
わたしにとって自然なことだった。

なのに、
母が亡くなったときは
気のせいも何も
なーんにも感じなかった。
母の存在、思い、
何もなかった。

今思えば
あのとき母は
沈黙していたのだと思う。

私も混乱していて
心を閉ざしていたのかもしれない。


それが、
10年くらい経った頃だったか、
母の存在を感じるようになった。
最初は遠慮がちに。
でも確かに。

例えば
私が迷っているとき
それでいいよ
とか

母に罪悪感をもってしまったとき
気にしないで
とか
ごめんね
みたいなことが
時折、分かる。

それで何となく、
困った時に母に
どうなんかなぁ?
とか聞いてみるようになった。

母にも
分かることと分からないことがあるのか
あるいは
つながれるときとそうじゃないときがあるのか
いつもではなかったけど、
答えてくれることがあった。

そして、
2年前の夏のある日。

1人で車を運転しているときに
ほんとに唐突に
母のイメージが降りてきた。

母は、
爆笑していた。

びっくりするくらい笑っていて、
私もつられて笑った。
そんなことは初めてで、
何?何?
となったのだが、

じわっと
あーもう大丈夫なんだなー
と思った。

母が苦しんでるんじゃないかという心配
母に対しての罪悪感
このつらい思いは一生背負わなければ、
みたいな義務感
それらを吹き飛ばす笑いだった。

そして、
母は
「好きに生きなさいよ〜!」
と笑っていた。

私は運転しながら、
笑いながら、
泣いた。


思えば、
それまでイメージの中の母はいつも
晩年の
物静かな寂しそうな感じだったけど、

生前、私が小さい頃の母は
こんなふうによく爆笑していた。
ちょっとこっちが恥ずかしくなるくらいに。

それを思い出した。

爆笑する
母のパワーはすごくて
私の中の心配や
その他もろもろが
一気に
吹き飛んでしまったのだった。

(つづく)



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