『乙女の港』聖地巡礼~港を発つ乙女に必要なもの~

~藍色茜色のおそろいベレー帽 November 06 [Wed], 2013, 21:09~

藍色茜色の文筆担当・茜です。先に行われたGirlsLoveFestival10は、川端康成『乙女の港』(1937)の舞台となった横浜での開催でした。今回のエントリは記念にをつくった聖地巡礼ペーパーの転載です。港から船を出せずに(※1)いたあなたも、きっとこれとあいあか本があれば氷川丸で出港できるはず。文庫版乙女の港を片手にお散歩してみてはいかがかしら。

*馬車道*

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 第一章、下校する三千子と経子が「じゃあ馬車道までご一緒にね」と約束した馬車道。まあ、その後三千子は洋子お姉様に連れられてしまうのだけれど。

 馬車道は横浜市中区本町の通りの名称。開港当時西洋人が馬車を乗り回していたことからその名がついたそうです。みなとみらい線馬車道駅を降り地上に出ると、まるであの時代にタイム・スリップしたかのような街並み。そこは神奈川県歴史博物館、旧第一銀行横浜支店などの古き良き建築物が立ち並ぶ日本屈指のレトロ建築密集スポットです。外観はそのままにいまでも使われている建物がほとんどで、乙女の港の世界に繋がっているみたい。アーケードや街灯にしるしづけられたお馬さんのマークも見つけてみてね。

 馬車道にはイギリス由来の日本初のガス灯のモニュメントとアイスクリーム発祥の地を記念した像があります。これ以外にも横浜には「初めて」が多く、この近辺だけでも君が代、キリンビール、クリーニング発祥の地が。乙女の港の功績によっていつか横浜そのものが百合発祥の地になればいいと思います。

*紅葉女学園(横浜雙葉学園)*

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 『乙女の港』は原案者である中里恒子の実体験に基づく物語。よって彼女の母校である紅葉女学園(現・横浜雙葉学園)が、三千子たちが通う「官立の女学校よりも、生徒同志の友情がこまやかで、いろいろな愛称で呼び合っては、上級生と下級生の交際が烈しい」基督教女学校(ミツシヨン・スクウル)ということになります。

 みなとみらい線元町・中華街駅からアメリカ山公園を抜けて外国人墓地を右手に坂を上ってゆくと、現在も外国人遺留地だったころの面影を色濃く残す山の手エリアへたどり着きます。元町公園、山手234番館、エリスマン邸、などを見学しながら歩いてゆくと、聡明そうなお嬢さんたちが吸い込まれてゆくエメラルド・グリーンの正門が見えます。関係者以外立ち入り禁止ですが、外からでも見えるところにマリア様の像が。みんなここを通るときにお辞儀をするのかしら。
 
 校舎自体は1945年の横浜大空襲で失われているので、現在のとんがりお屋根の学び舎は当時のものとは違います。作中で三千子ちゃんはミス・マアフリイの英語の授業を疎ましがりますが、その英語教育への力の入れようは今も健在で、今日も三千子の後輩たちが元気に勉学に励んでいます。

*山手公園*

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 洋子お姉様が三千子におうちの秘密を告白した山手公園。作中では「山の手公園」と表記される、「美しい外人住宅地のなかの、品よく纏まった、小さな公園――仰々しい運動場や、みせびらかすような広場も花園もなく、山の手の坂につつましい公園」。

 雙葉学園の横の道に入り、住宅街をフェリス女学院方向へ進んでゆくと雰囲気のある石の階段があります。頑張って登りきるとそこが山手公園の入り口。1870年開園の日本初の洋式庭園で、テニス発祥の地でもあることから今はヒマラヤスギに囲まれたテニスコートがメインです。公園内のテニス発祥記念館では、テニスの歴史とともに山手公園の変遷についてもお勉強できます。大正時代には花屋敷と呼ばれるほど数々の花が植えられていたそうです。わたしの薔薇も咲いているかしら(※2)。

 コートの利用受付を行うレストハウス「山手68番館」はギャラリーとしての利用も可能で、いつかここで乙女の港展を…!なんて夢見ることもできます。でも、いい汗流したテニスプレイヤーの皆様は乙女が集ったらびっくりするので、『女生徒』展をひらいた三鷹の点滴堂さんや『花物語』展をひらいた初台のザロフさんが適切かも。

*元町*

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 ふたりのお姉様の間で揺れ動く三千子に、克子お姉様は「二学期になったら、ふたりでお揃いの菫の花を、いつでも胸のポケットへ入れておくの、どう?」と提案します。「私、元町の花屋に註文するわ。どんな季節でもすみれの花は絶やさないようにって」。

 元町・中華街駅へ戻り元町商店街側へ出るとすぐに銀色のモニュメントがお出迎え。さあ、優雅なマダムに混じって元町散策の始まりです。石畳の一本道は歩道が広く、車通りも少ないのでゆっくりお散歩できます。ハイセンス・ハイクオリティ・ハイプライスな雰囲気のお店に入るのにはちょっぴり勇気がいるかもしれませんが、ウインドウ・ショッピングをするだけでもじゅうぶん楽しいです。

 この通り沿いではお花屋さんは発見できませんでしたが、ちょっぴりはずれたところにありました。季節柄ムラサキピンク(※3)の胡蝶蘭が並ぶばかりでしたが、きっと克子お姉様のような押しの強い人からの要望があれば菫の花束を置いてくれるでしょう。

*ホテルニューグランド*

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 三千子が避暑に来て、克子と出会った軽井沢。「お水端を出ると雲場の池、ニュウ・グランド・ホテルの芝生を背景に、ボオトが浮んでいる」――現在はホテルニューグランドといえば横浜・山下公園前の本店を残すのみですが、本文に登場するのは1929年に開業した軽井沢ロッジ。避暑客をターゲットに横浜から進出したのです。 

 元町駅向かいの谷戸橋を渡って中村川を越え、マリンタワーを目印に海側を目指します。山下公園のお向かいに堂々とそびえ立つのが、かのマッカーサーも宿泊したホテルニューグランドです。当時の写真が飾られてある受付ロビー、金色に輝くエレベーター、ナポリタンとドリアとプリンアラモードの発祥地であるレストランとなにやらすごい場所。お部屋からは横浜の夜景が。たびたび映画やドラマのロケ地となっている美しいシンメトリィ(※4)構造の本館2階ロビーは必見です。美しく細工が施されたマホガニー柱、横浜家具をはじめとする豪華な調度品に囲まれたゴージャスな空間なら横浜のお嬢様ごっこもリアリティが増すかも。

 吉屋信子『わすれなぐさ』(1932)でもこのホテルが極めて重要なシーンの舞台となります。こちらも少女三人の三角関係で、必読百合文献です。

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※1 『乙女は港から船を出せずに』 川端康成『乙女の港』 
レトロな雰囲気たっぷりに原作のその後を描いたあいあか一冊目。お花畑のような誌面で克子さんが大活躍。百合の歴史としての「エス」をお勉強して聖地巡礼に臨んでみてね。

※2 『もしもわたしの薔薇が咲いたら』 少女革命ウテナ 
ウテナの黒薔薇編を軸に梢ちゃんと若葉視点でウテナとアンシーを描きました。あのこになりたいあのこになれない、暗いところで咲く少女革命前夜。難解なウテナを少女論として紐解く鍵になれたら。

※3 『ムラサキピンクの夢』 美少女戦士セーラームーン ちびほた
GLF10発行のあいあか新刊は20thで盛り上がるセーラームーン。幼女から少女へと成長するグラデージョンのなかのちびほたちゃんの揺れ動くきもち、きらめく強さ。それが乙女のポリシーなの。

※4 『シンメトリィ・ガーリィ』 pop’n musicリエさな 
色違いのゲームデータだったリエさながそれぞれの女の子になる過程をひもとくベストアルバム、セルフライナーノーツ付き。雑貨屋さんのカタログのように甘くてかわいい少女鏡像本です。

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