可能性は無限大な話①

2018年4月2日から7月31日まで、私は世界遺産である宮島で住み込みのバイトをしていた。俗にいう、リゾートバイトというやつである。大学とは状況が違うため、あくまで職場の人とは職場のみの関係を保とうとしていた。ただし、2人だけ他の人とはうって変わって特別な存在がいた。そのひとりは当時18歳だった同期だ。

5月に誕生日を迎え19歳になった彼女は今、フィリピンの語学学校に通っている。一緒に彼女の誕生日を祝ったあの日、プレゼントを渡したときのあの笑顔を私はずっと忘れないと思う。通信制の高校へ通い、卒業とともに宮島での仕事を決断。地元を離れるギリギリまで親には黙っていたらしい。理由はもちろん、反対されるから。そんな彼女とたまたま同じ日に職場に着任。旅館の仲居として4か月、毎日一緒に勤めた。家族よりも家族に思えるような存在になった。さっき、ちょうどLINE電話をしたけれど、相変わらず破天荒で面白い子だった。国は違えど、似たような環境で似たような壁にぶつかっているわたしたちは、やっぱり以心伝心しているように感じる。

宮島に行く前は、こんな出会いがあるなんて全く想像もしていなかったものだから、あの子と出会えただけで私は休学してよかったとさえ思ってしまうのだ。育った環境も経験もなにもかも全く違うわたしたち。かけがえのない出会い。きれいごとではなく、本当に心から思っている。

わたしたちの共通点は、「海外に行くためにお金を稼ぐこと」だった。そのために出来るだけ節約した。休みの日も、一緒に「お金のかからない遊び」をした。彼女と一緒なら、どんなことも楽しかった。山のぼり、海水浴場で水遊び。いつもあの子の笑顔とわたしちの笑い声がそこにはあった。

わたしたちの口ぐせは。

『(インスタの写真を見せながら)ねぇ見てん、これおいしそうぢゃなーい?!』

『アイス食べたーいっ、パフェ食べたーいっ』

『(コッペパンのメニューをホームページで見ながら)次わどれ食べようかなー、えーもう決めらんないー!!』

※すくなからず思うのは、彼女はあきらかにギャルだった。あ、今も、か。あ、わたしは違います。ただよく間違われるだけです。

こんなことを毎日のように言っていた。なんて貧しい子たちなんだ、って周りの人は思っただろうなぁ。それでもその口ぐせ自体がわたしたちの楽しみであり、ストレス発散でもあった。もちろん誘惑に負けたことも多くある。が、ちいさな我慢の積み重ねは大きかったと思う。そう、ちいさな積み重ねこそが、どんな大きな我慢よりもはるかに大きかったりするんじゃないか、きっと。

そんな中わたしは、最初の一ヵ月が過ぎたころストレスで体調を崩した。するとどうだろう、同期も体調をくずしてしまったのだ。それ以降、わたしが体調が悪かったり食欲がなかったりするときは必ずと言っていいほど、彼女の体にも異変があったのだ。これは、れ、連動している・・・?!ちなみに、お互い離れ離れになって違う国にいても、信じられないし偶然だろうがそれは起こった、ように感じる。不思議でしょうがない。

彼女は日本を飛び出し、世界で生きている。高校を卒業したばかりの女の子がひとり、世界にはばたいているのだ。自分ならそんな度胸はない。彼女はとても勇ましくわたしの目に映る。とても勝手だが、あの子は上手く生きていける。どこにいても活躍できる。そんな確信がいつもわたしの中にある。

彼女の瞳にはこう書いてある。

『何でもかかってこいや!』

強い。強いのである。そんな彼女の将来は、無限大なのだ。何をしようと、彼女の自由。自由にはしばしば不安がつきもののように感じる。しかし、彼女はそれを全く感じさせない。そんな彼女を応援しつつ、これからもお互いに刺激し合いたい。

2019年2月、わたしたちはオーストラリアで再会する。英語に苦しんでいる彼女だが、その成長した姿が見られるのが楽しみでしょうがない。

つづく

<どうでもいいつぶやき>

今日、初めてこっちでみそ汁を作った。少し感動した。けどやっぱりお母さんのような、おいしいみそ汁はなかなか作れない。

あぁ、昨日食べたクレープを毎日食べたいなぁ。甘いものは正義である。わたしのスーパーヒーローである。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?