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仮想のチャイルドシート

「この人が父親だったら嫌だな。」と思う事がある。
この感覚は子どもの時分に無かったものなので、大人になりコミュニティ内またはコミュニティ外でも関わる人間が多くなったからのように推測される。

単純に趣向・考え方・様子で所謂ところの『合わないな』を感じた次くらいにこの感情が出てくる。
相手方としてはお前なんぞ娘にする覚えはねぇぞの一閃が轟くほどのトンデモない鉄砲が飛んできたわけで、ルッキズムで突かれる事よりも悔しい鉄砲かもしれない。
でも、それは本人に伝わらなければ伝えなれば良い話なので万事OK。

同じような場面でも不思議と女性には出てこない感情で、これは既に自分に母親が揺るぎなくいるので想像の隙間が養生されてしまっているからなのだと考えられる。
母親は厳しくはあるけれど、趣味嗜好・考え方・様子が尊敬できるセンスと顔のいい女なので、他の女性に対して何かファンタジー的にこの人が母親だったらと少し想像するが母親を思うとそのファンタジーをぬるさに気が抜けてしまう。
それに「この人が母親だったら嫌だ。」の渦中にすでにいるので、渦中のものに対してこの感覚はナンセンスなのだ。

ただ「この人が父親だったら嫌だな。」は全く違う感情で他の場面にもある。
とても素敵な男性に対して。
この人とのピクニックはどんなに楽しくて膝の上で絵本を読んでもらえたらどんなに満ち足りた気持ちになれるだろうと思うけど、でも子どもだったら『それなりのキス』しかできないのだ。
ちゃんと『大人同士がするキス』をしたい。
私の胸元には黒子が幾つあって繋げたらどんな形になるかを、手の大きさ比べで私の爪がとても小さいと笑うのを、肉親の目じゃなくて男性の目で見てほしい。

まだ片手で数えられた年にプラトニックラブがテーマのドラマに対して、よく分からないまま「こういう恋愛がしたい。絶対良いに決まっている。」と断じた私に、母が「ふぅん。でも、つまらないよ。触れた方が断然たのしいんだから。」と話しかけているような独り言のような調子で言ってきて、今となるととトンデもねぇ事を言う親だなと思うがトンデもはこれだけではないので。
この時の私に言いたいのは「やっぱり触れた方が絶対楽しいよ。」です。

頭の中で幼女になり意中男性との親子関係を創造して壊す頭内遊びは、太古の昔に父親という役割の人間が生活圏にいなくなり感覚の鈍った者の遊びで、両親がバッキバキに揃った環境におかれた人にとってはちょっと不明な感覚で、女子・男子校出身者が持つ男女ファンタジーに共学校出身者が感じるチグハグ感に似ているのかもしれない。

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