大切な一冊に寄せて
とても好きな絵本がある。
子供の頃、寝付かずに泣きわめく私に向かって読み聞かせをした母のおかげで、今もなお読書好きだ。ミステリーや新書や漫画、いろいろなものを読んだが、原初体験とでもいうのだろうか、どうしても忘れられない大好きな絵本がある。
18年間ピアノを続けてきた。その中で気付いたのは、自分は相手の気持ちを可能な限り想像して、想像の中から出来上がって出てきたものをピアノにぶつけて自分の音を出しているということだ。だから、私にとってピアノを弾くということは、自分の中で作り上げた物語のようなものを語っていく作業であるのだと思う。そのために本を読み、自分の想像の外側にある物語を吸収し、共感する経験を意図的なのか、無意識だったのかはわからないが、続けてきたのだ。おそらくこの作業が、私にとって音楽を「解釈する」という行いなのだと思う。
その私なりの「解釈する」という行為の源泉を作ってくれたのであろう絵本が「マティスの絵本」だ。
マティスという画家はピカソやらモネに比べればほんの少しマイナーかもしれないが、それなりに有名なはずだ。ダンスダンスダンスを描いた彼の、楽しそうでにぎやかな色使いが好きだと今の私は思っている。
その絵本に出会ったのは5歳の時。図書館に入りびたり、絵本を次々に読んでいた私が見つけたのが「あーとぶっく」シリーズだった。
著名な画家たちの絵が並び、ひとつの物語を付されて次々と目に飛び込んでくる。マティスの絵本のコンセプトは、「ホテル」。色鮮やかな部屋、金魚鉢、女性、カラフルな花束。ひとつひとつがつながって、それぞれの絵に意味を与えていく。過去の芸術家が必死になって作り上げたものが、物語を与えられて、平成の世を生きる私の心に衝撃を与えた。彼が一体何を思って絵画を描きあげたのか、私にはわからない。それでも、青や赤で統一された素敵な部屋たちは、幼い私の心に確かなイメージを持って飛び込んできたのだった。
物語を与えられた芸術に衝撃を抱いた私だからこそ、おそらく音楽の解釈は物語で行っているのであると思う。ドレミファソラシの7つの音にはそれぞれ色を感じるし、それぞれの調性にも明確な色とイメージを抱く。自分のイメージと、曲が持つ物語のようなものを一緒に乗せて鍵盤に触る。広大すぎる物語への航海はまだまだ先が長い。一生かかっても終えることはないだろう。
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