やりたいことがあるんです!

嘘です。嘘も嘘、大嘘です。

やりたいことって何だ。やりたいことと言えば何でも許されるのか。みたいな夢のない話ですが、やりたいことって何だ。

やりたいことがあると言わないと、やりたいことがないと、随分と自分が陳腐に思えてきてしまう。……というか、やりたいことがあって当然、というような脅迫観念のようなものがあるような気がして、なんだか不穏に思ってしまう。自分を見失った迷走状態にあるからこそこんなことを思い込んでしまうのかもしれないが、やりたいことがある、というのが免罪符、この表現が正しいかはわからないが、「通行手形」のようにはなっていないだろうか。

とはいえ実際にやりたいことってあるのかと言われれば、「一生遊んで暮らしてぇ!」というやつである。しかし、経済的な面を考えると非常に難しいのである。ああ六つ子が羨まし……くはない。私は金が欲しい。趣味もしたい。さらにいえばオタ活もしたい。まだまだサイリウムも振り回して歌声に酔いしれたいし、いつか薄い本だって作ってみたい。そうだ、オタ活にはお金がいるのだ。しかも睡眠時間も大切にしたい。あとついでにまだ一回もショパンのバラードを弾いたことがないので弾いてみたい。ラフマニノフのソロ曲だって弾いてみたい。人生で一番美人でいられる20代、30代を失うのはなんだかもったいないから恋愛ももうちょっとしたいしゆくゆくは結婚もしてみたい。続くかはわからないけれど。

子供の頃の夢はどこへやら、こんなものである。平凡な暮らしを夢見ている、と過去の自分に話したらどんな顔をするだろうか。ピアニストになるとかそんな夢は一体どこかへ行ってしまった。きれいな夢を見るのはもう終わりだ。

もしかしたら、夢の言いかえがやりたいこと、という言葉なのかもしれない。いつからだろう、夢という言葉がちょっと恥ずかしい言葉に見えてきたのは。大人と子供との境目なのかもしれない。夢って何だ。ささやかに、平凡な暮らしが夢だなんて、そんな生活を手に入れることがそんなにも難しいことなのだろうか。夢は叶えるのが難しいことだと誰が決めた? ささやかな平凡な暮らしが難しいものだと、いつから変わってしまった? そもそも幻想だったのか?

自己啓発という言葉がなんか宗教っぽくていやだなあと昔から思っているが、なんだか自己啓発の本に書いてありそうだ。(自己啓発という言葉がなんだかちょっと不穏なのでステップアップとかの言葉に言い換えてはどうでしょうか)

夢という単語について考えていたら魔人探偵脳噛ネウロという名作の中に「夢って、いいよね」「夢って言えば何でも許されるんだよ!!!」とか言っていた犯人がいたのを思い出しました。シリアスな話の中に突如として挟まれたあの夢見がちな犯人の話がなんだか印象的でした。好きです。

(嘘から始まって好きで終わった。夢小説にありそう)

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