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◯◯が不自由な人のための…は、更なる壁を生むのではないだろうか。

2020年の東京オリンピックに近づき、よりバリアフリーやピクトグラムなど、国籍、人種、文化等が異なっても共通利用・認識可能なデザイン(以下、ユニバーサルデザイン)が進んでいる。これはとても良い事で、認識が共通化できるということは色々なプロセスを省く事ができ、作業量から認知的負荷等も効率化ができる。

一方で、例えば駅内にある、体(脚)が不自由な人のためのトイレというのがある。これも、私はとても良い設備であり、この設備に助けられている方も多いと思っている。だけど、『◯◯のための…』という物事は、◯◯の対象とならない人との間のコミュニティに壁を生んでしまうのではないか?と最近考える。

例えば、目の不自由な方の為の文字として、『点字』がある。これは、触覚を利用した文字で、指でなぞることで言葉を認識する。だけど、私はこの点字は読めない(一時、ポケットモンスター ルビー・サファイアで点字を使う謎解きがあったが、点字を読んだのはそれが最初で最後だ)。
その一方で、今はパソコンやスマホが普及し、デバイスを通じて得る視覚情報が次第に、膨大に増えてきている。とても便利な世の中になった。だが、視覚情報が増えていくという事は、目の不自由な方との乖離が更に大きくなってしまってるのではないだろうか?という疑問が耐えない。

ネットのニュースやLINEのやりとり、SNSの閲覧。そうした現代で当たり前になった情報収集を、目の不自由な方にも体験できる様にならないのだろうか?

そこで、(まだジャストアイデアだが)以下の画像の様なデバイスを考えてみた。デジタル上の情報や、周囲の情報を点字化し、目の不自由な方に伝えるコミュケーションデバイスだ。

このデバイスで、目の不自由な方のデジタル社会での第2の目として普及してくれることを私は願っている。



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