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私とアザのこと

はじめに

私の顔の右側には赤いアザがある。生まれつきで、今までずっと一緒に過ごしてきた。その変遷を辿ってみようと思う。
結論から言うと、これはスタージ・ウェーバー症候群という指定難病で、その診断に至るまでや、告知後の葛藤などすべてが書いてある。後に書くが、私は同じ病気の方の病歴を知ってとても参考になった。この文章も同じように誰かの役に立ったらと願う。

誕生


2000年1月に愛知県に誕生。

生まれたての私

出生後初めてアザの存在に気づいた両親は、びっくりしたけど、可愛いがまさったよと言ってくれた。どこかの形成外科でいちご状血管腫と診断され、母が私を連れて病院巡りをしてくれた。
いちご状血管腫とは、皮膚表面の血管腫がいちごのように膨れ上がるがいずれ赤みが引いて盛り上がりも縮小する病気。
たっぷりの愛情を受け、生後2ヶ月で声を出して笑う子だった。0歳でレーザー治療を受けた。その時の記憶はない。

上:声を出して笑う私
下:初めてのレーザー後


私には2歳上の姉がいて、誰もアザのことなんて気にしないのほほんとした生活を送っていた。

上から母姉私

しかし、手で触れると大出血してしまうほど弱い肌だったので、レーザーで火傷させて皮膚を強くさせる必要があった。
一歳ごろのアザは凹凸もなくポートワイン斑(凹凸のないアザ)のように見える。

1歳ごろ公園にて


近所の病院にレーザーがあることがわかったので、そこでタオルでぐるぐるまきにされて、大人何人にも押さえつけられて、拷問のようにしてレーザー治療を受けていた。レーザーの火傷であざに凹凸ができ始める。

レーザーの火傷跡がよくわかる
痛々しく腫れている


2003年、妹が生まれ、3人姉妹の真ん中になった。

上から母姉私妹


幼稚園


幼稚園に入園し、アザのことを聞かれると、生まれつき、と答えるようになった。

みかんを食べている


母方のおばあちゃんが見た目を気にする人だったため、いつか顔を直したくなった時のために貯金をしてくれていた。おばあちゃんがいたため、七五三ではアザを化粧で隠した。

七五三(3歳)


レーザーの効果もあり、少し薄くなったところもできてきた。

レーザーの効果で少しあざが薄いところができた

皮膚移植のことも考えてくれた母が、県内の大きな子供病院に転院させてくれた。
幼稚園ではアザのことを聞かれることはあっても、いじめられることなんてなく、友達にも恵まれた。

仲良し3人組


自画像にもアザをかくほどアザは私にとって自然なものだった。

5歳の時の自画像

私は覚えていないが、「どうしてお母さんにはアザがないの?」と言ったらお母さんはマジックで顔を同じように塗ってそのまま一緒に買い物に行ったこともあるみたいだった。それを聞いた時は、なんていい母に恵まれたんだろうと思った。
また、この頃、カバーマーク(アザ専用化粧品)のことを母が教えてくれて、化粧してみたが、手順が多すぎるし、厚塗り感が嫌で2回くらいしか使わなかった。

小学校


小学校でもあざはみんなに受け入れられ、いじめなどはなかった。
七五三の時はまたアザを隠した。歯が抜けてることの方が恥ずかしいくらいアザのことで困ったことはない。

前歯が抜けている
前歯を気にして微笑んでいる

レーザーは痛いしガーゼ貼らないといけないし、で嫌になって辞めたこともあったが、また近所の病院に変えて打ちたくなったら打つということになった。
レーザー後の日焼けが良くなかったのか、親の優しさで隠したかったのか分からないが、日焼けすると紫になるよ、と言われて色付きの固形の日焼け止めでアザを隠して過ごしていた。ベタベタするし、嫌だったけど我慢した。

色付きの日焼け止めでアザを隠している


ある日、特別支援級の教室の前に立っていたら支援級の子に顔を見られ、モンスターがいる!と叫ばれた。辛くて静かに泣いた。これが初めてあざのことで傷ついたことだった。

不登校時(かろうじて卒アルには載った)


あざは関係無く、いじめもなく、ただなんとなく学校に行きたくなくて不登校にもなった。
友達に日記を読まれたことが原因で保健室登校になった。進研ゼミで自習して、中学受験を考え始めた。

中学校


中学受験は無事成功し、近所の私立の中高一貫校に入学した。

中学1年生

固形の日焼け止めから日焼け止め付きのリキッドファンデーションに変えた。アザを隠さなきゃいけないことに変わりはなかったが、義務から化粧するお姉さんという意識へと変わった。
ある時、いちご状血管腫の特効薬ができて、赤ちゃんのうちに飲めば治る!と言われ、試しに入院しながら飲んだりもしたが、効かなかった。12歳ごろから右目の見え方に違和感を覚え始めるが、特に気にしていなかった。
吹奏楽部で副部長に任命されたが、後輩との人間関係をうまく育めず、人望は薄かったと思う。

副部長になった


ハロウィン近くのある日に、キズメイクをしてくれるキャンペーンをしているお店を見つけ、友達と行くが、店員さんにアザをキズメイクだと勘違いされて、「生まれつきです。」、と言っても「え〜どうしたんですかぁ〜?」と言われなかなかイラついた。でも、友達が私以上に怒ってくれて、「もう帰る?」とか言ってくれたため、大丈夫なふりをしてやり過ごした。これが、2度目のアザのことで傷ついたことだった。

コンタクトにした

14歳で、コンタクトを作る時に行った眼科の先生が、右目にくっついて離れなくなった。なんだろう、と思っていたら、「あなた、網膜剥がれていますよ」と言われ、そこから色々な病院を転々とし、気づいた時には東京のがんセンターにいた。空気が重くてシーンとしていて、私すごいところまでくるほど悪い病気なのかな、なんて考えてしまった。少し待つと呼ばれて、眼球の底に血管腫があることが説明された。その血管腫が生まれた時からあって大きくなったのか、成長と共に生まれたのかはわからないが、とにかく私の目の中に異物があることに体が気づいて、液体を出し始めたそうだ。その液体によって網膜が剥がれてしまっていた。
そして、眼球内と顔に血管腫が認められることからスタージ・ウェーバー症候群だと診断された。スタージ・ウェーバー症候群は指定難病で、皮膚と目と脳に血管腫ができる病気で、脳内に血管腫がある場合だとてんかんや発達障害が認められることがある。
東京に通うのは難しいため、愛知県の病院に通院することになった。幸い脳の中には血管腫が認められなかったので、てんかんも発達障害もなかった。ただ、右目だけがゆっくりと中学3年間かけて見えなくなり、とても怖い思いをした。

高校


高校に入学し、友達は少数精鋭だったが、いじめられることもなく平和に過ごした。

高校1年生

右目の視力は諦め、放射線を当てて目の中のアザを大きくさせないようにしよう、ということになった。「弱く当てるから髪の毛は多分大丈夫だよ」と言われつつも左後ろの髪の毛が直径10センチほどで禿げ、目のあざに効果はなかった。髪の毛が生えるまでしばらくの間、下の方で結んでハゲを隠した。
プリクラを撮ると私のあざは無いかのように映るのでプリクラは死ぬほど撮った。

バムとケロのおじぎちゃんが好き

また、この頃始めての彼氏もできて、こんな顔でも好いてくれる人がいるんだと衝撃を受けた。ちなみにこの後、大学で一人、社会人で一人と彼氏ができるが、こんな顔でも3人、最長で2年くらいお付き合いすることができた。

オーストラリアでできた友達

17歳で学校のプログラムでオーストラリアに1ヶ月ホームステイをした。きっと、向こうの子達は物事をはっきりいうだろうから、お前のその顔なんだ、と言われる覚悟をしていった。するとそこには、人種も髪の色も顔の色も体格も体型も年齢も全部違う人々がフラットに遊んでいて、私の顔のアザのことなんて気に留める人なんて誰もいなくて、なんて素晴らしい世界なんだろうと思った。
17歳、日本に帰国後日本の顔面意識に絶望した。私を見て泣いちゃう女の子、みちゃダメよと注意するお母さん、地下鉄でカメラがこちらを向いたら写真を撮られてTwitterにでも上げられているんじゃないかと思ったり、アザを見てくる人がいれば睨み返してしまったり、、、。
と、初めてまともにアザのことで悩み始めた。
そんな時、授業で朝日新聞の声欄になんでもいいから投稿してみようという授業があり、日本にふてくされていた私はアザのことを書こうと決めた。
その時採用されて掲載された記事がこちら。

朝日新聞 声欄 2017年10月27日(金)

いつかテレビか何かで見たNPO法人ユニークフェイスの活動のことを思い出し、同時にその代表の石井政之さんの本を読んでいたことを思い出した。
ユニークフェイスというのは私のように顔に赤アザがあったり、黒アザがあったり、麻痺や病気などで顔が歪んでしまっていたり、アルビノの人など、見た目に問題を抱える人たちのことを指す。NPO法人ユニークフェイスという団体は、集会をひらいたりして情報交換をしている、という認識だった。その代表の石井政之さんは顔の右側に赤アザのある方で、当事者として、ジャーナリストとして、ユニークフェイスに関する本をいくつも出している方だ。
いつ読んだかは定かではないが、『見つめられる顔、ユニークフェイスの体験』という本を泣きながら読んでいた。その石井政之さんに、世の中あんまり変わってないよ、世の中を殴ってやりたい気持ちを伝えたくて投稿を書いた。すると、掲載された次の日、石井さんのブログに私の記事が載っていて、時代は少しずつ動いている、と書いてくれた。(有料記事ですが良かったら読んでみてください。)

高校3年生


その時の私の葛藤は、石井さんに届いたことで解消された。ただ、家族には何も言わず、悩んでるそぶりを見せたくなかったため、内緒で投稿していた。

大学


絵を描くことも、図面を描くことも、工作、模型をつくることも、コンセプトを考えたり、プレゼンをすることも好きだった私は大学で建築学科に進み、こんなに自分に合う学問があったのかと感動した。ここでもあざについて触れられることはなく、のほほんと自由に暮らした。

大学のサークル


20歳で成人し、世の中はギリギリコロナが日本に来る前でザワザワしていた時だった。成人式でもなんとなく意味もなくあざは隠した。

成人式


家族の20歳のお祝いの席で、私は意を決して家族にこれまでアザのことで悩んでいたことを打ち明けましたが、ポカン、とされてしまった。その時はその反応が怖くて何も言えずに終わってしまう。
2020年2月末ごろ、コロナが日本に到達し、大学の授業やゼミはオンラインに、マスク生活が始まる。

zoomミーティング
手作りマスク


マスクをつけると私のあざは隠れる。ファンデーションを塗ってもマスクにつくだけで、無駄なことしてるな、と思うようになった。すっぴんもしくは眉毛書いてアイシャドウを塗るだけの生活になった。

すっぴん


一人暮らしでひまな時間が増え、またアザのことについて考え始めた。Twitterのアカウントを作ってちょっとした考え事、悩みをつぶやいていた。

Twitterのアザアカウント

私のXのアザアカウント

そこで、石井政之さんが私の記事に触れたツイートを見つけ、引用リツイートした。

石井さんのツイートを引用リツイート

すると

石井さんからの引用リツイート


石井さんからの返信をもらい、Twitter上で繋がれたことに満足し、コロナ禍中のアザに対する悩みは薄まった。
この時同時にFu*clover〜あざと共に生きる会(以下、フクローバーと呼ぶ)という別のユニークフェイス団体の代表の志穂さんから引用リツイートをもらい、初めて同じ病気の人に出会う。

志穂さんからの引用リツイート

志穂さんは病状説明などをツイートしてくれており、それを読むととても参考になり、出会えてよかった、と心から思った。(スタージ・ウェーバー症候群はとにかく情報が少ない)

大学院受験を失敗したことや、浪人してもう一度挑戦するために作品集に箔をつけようと、卒業制作に熱が入りすぎて空回りし、躁鬱病(双極性障害)を発症し、卒業制作を断念する。かろうじて卒業論文を書いていたため、無事卒業できたが、2022年はほぼニートとして実家で療養した。

就職


学生時代からお世話になっていた建築家の先生からお誘いを受け、躁鬱でも良いから、と2023年から県外の小さな設計事務所で働き始める。

事務所の記念写真

が、9月ごろにまた躁鬱がひどくなったため、退職せざるを得なかった。

ニート


実家に戻り、USJに行き遊んでいたら、ちょうどゾンビが出る時期で、ゾンビと見間違えられ、ひどく傷ついた。これが、アザのことで傷ついた3度目の経験。

映画を見に行った


そしてニートで療養中の今、また一人でアザのことについて考え始める。20歳の時に意を決してアザでなやんでいることを打ち明けた時、どうしてポカンとしたのか、など、母と対話を始める。その答えは、母はいろんな本を読んでいて、「アザのある人は大抵壮絶ないじめを受けているからあなたもそうなると思っていた。だからアザのことであなたが悩むのは当たり前のことだし、全部想定内だったよ」と言われた。

そうして、母との対話を続ける中で、アザのある人とアザの話をしたことがないことに気がつき、躁鬱病の躁状態の力も借りてユニークフェイス(今ではユニークフェイス研究所)の石井政之さんにDMを送った。石井さんとはオンラインでお話をさせてもらい、初めてアザのある人とアザのことを話し、「5〜7人のアザのある先輩を作りなさい、そしてぶっちゃけトークをしなさい」と言われた。
その後すぐにフクローバーの志穂さんにDMを送り、Instagramで話題になった赤アザのある彩さんにもDMを送った。志穂さんとは直接お会いし、「悩みや不安ごとなんて、困ったその時考えればいいから」と言われた。彩さんとはビデオ通話でお話しし、「アザは見た目で人を判断する人をふるいにかけるのに便利、自分に素直に、幸せになりなさい」と言われた。

彩さんとのビデオ電話

みなさんとても力強く生きていて、勇気が出た。私の大事な先輩方。
今はもっと先輩を増やすべく奮闘している。自分の目的はよく分からない。ただやりたいからやっている。先輩が7人できた時、その答えがわかるのだろうか。今はとにかく動き続けてみようと思っている。

おわりに

長い長い私とアザの変遷を読んでくださりありがとうございます。今では年に1度、眼科に通ってエコーで目の中の血管腫の動向を確認しています。ここ2年くらいで見えない右目は白内障になってしまいました。聞くところによると、血管腫は成長したり変化したりするものらしいので、今度の診察からは造影剤でのMRI検査も取り入れようと思っています。いつ脳内に血管腫ができるかわからないので、念のために。
もし、血管腫のある子供が産まれた場合、体の内部にもないかどうか、確認することをお勧めします。また、妊娠中に火事を見るとアザのある子が生まれると言う迷信は嘘です。実際に志穂さんが試したそうなので確実です。
アザがあることはマイナスではないし、誰のせいでもない。「魔法でパチンと指を鳴らしたらアザが消えるけど消したい?」と聞かれたら「いいえ」と答えます。もう24年間共にしてきた私の一部なんです。なくなってしまったら私ではなくなってしまいます。私とアザの生活は続きます。

おわり

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