舞乙女

亡父の13回忌の、というお書き出しに胸を突かれる。そうか。かずおさん、まだまだお若いうちに逝かれたのね。

「あれは京大なんだよ。」と、おっしゃったから、「かずおさんは東大でしょう?息子さんは京都大学でいいの?」と、愚かな問いを返してみる。

かずおさんは私とは親子ほど年令の離れた風変わりな、お友だちだった。かずおさんはパンプスを履いて立つ私より背が低い。でも、きちんと髪を撫でつけて白洲次郎みたいにオシャレだから、りゅうとしてうんと立派に見える。かずおさんは鷹揚に足を運び、しわがれ声でゆっくりお話しなさる。

お友だち同士だけど割り勘じゃなくて、ニューオータニなんかの天ぷらとか和食をご馳走してもらう。私は墨田の下町のメーカー勤務で、住まいも押上の京島で銭湯通いの間借りの二十代のOLの駆け出しで、反して、かずおさんは大阪のどこかの会社の社長さんで、「腹は空いてないか?」と気の毒がってくれるから、好意に甘えることになる。

「ここのところ、中華屋さんの残業ごはんの出前ばっかり。昨日は天津丼。今日は輸出部の皆さんにごめんして早く出てきたの。」と言えば、「景気がいいな。たかこのところも同族会社のメーカーだろう?」とおっしゃる。私は上司から聞きかじったことを「ううん、良くなんかないわ。売上伝票も仕様書も毎日こんなに切るんだけど、この円高でしょ、アメリカに輸出すればするほど、売上が上がれば上がるほど利益が無くなるの、よ。」と、言ってみても、かずおさんは、ふん、とお返事もなく、それ以上を聞かれることもない。

海老だの旬の野菜だのの天ぷらでお腹がいっぱいになると、バー・カプリに移動してピアノを聴きながら、いつもかずおさんは一杯だけ舞乙女を注文してくれる。そこで、「息子さんは京都大学を出たの?東大じゃないの?いいの?」と、蒸し返してみる。「京大は自主独立の良い大学。アレに合っている。」「アレって、息子さんのこと?京大は良い大学なのね?ふうん。」いつも東大、東大、富士銀、富士銀ってばかり言うのに、お坊ちゃんが可愛くて誇らしくてたまんないのね。

焼酎の紅乙女をベースにした、ピンク色の可愛いカクテルの舞乙女を飲み干したら、ふたりしてさっと立ち上がり私は店外で待ち、お会計したかずおさんに頭を下げて、ごちそうさまでしたを言う。

そのままエスカレーターで、かずおさんの白髪混じりのきっちり整髪したおつむを見下ろしながら車寄せまで降りて、あるいはエレベーターで一気に降りて、タクシーに乗せてくれる。かずおさんはいつも運転手さんにお札を渡して「お釣りは女の子にやって。」というようにことづけて、私のことは見ないで踵を返し、後ろ姿でサヨナラ代わりにさっと片手を上げただけで去っていく、どこまでもスマートなお友だちだった。

その人が息子さんなら、鼻から上がそっくりだ。他にかずおさんから息子さんのことを聞いただろうか。記憶にない。私はその後、日本のメーカーから外資系の企業に転職した。私はかずおさんの名刺をもらったと思うけれど、社長、と書いてあったからそんなところに電話する面倒ごとを避けたので、それっきりのことになった。

やがて結婚し子どもができて再就職し、朝の通勤途上の東西線の西船橋駅のホームで偶然、再開した。「かずおさん?たかこです!」「おい、たかこ?いやあ、肥えたな。」「いやね。私、お母さんになったのよ!」「隠居して佐倉だよ。」「わたしは松戸。」


十三回忌なのね、粋でオシャレな、かずおさん。ご自慢の息子さん、本当に偉くなっちゃったわね。偶然みつけたその息子さんのnoteを介して「やあ。」と私に片手を上げてくれたみたいね。かずおさんのあのころの友情の、毎回のお腹いっぱいのご飯と舞乙女と、そのお返しを何一つしてないわ。何一つ、ご恩返ししてないわね、ごめんなさいね。でも、本当にありがとう、ご馳走様でした。ご供養するわ、かずおさん。




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