note戦記~やさぐれペンギン編~:論理的な文章・客観的な文章ってなんだろう?

はいはい、ペンギンです。noteに過去のnoteをリコメンドとして出す簡易機能がついたよね。で、反省なのだよ。ボクって中途半端な連載note一杯やってる…(掘り起こされて気づいた系)。

しかーし!ペン学とnote戦記だけはやろうと心に決めたから、他のは無視してnote戦記を更新するのでありまーす!怠けペンギンにしては素晴らしい心意気だな、うん。

というワケで、たまたま「論理的で客観的な文章ってなんだろう?」と考える機会があったから、いまだ「O(アルファベット)」のキーが取れたまんまのパソコンでパチパチしてるのだ。

論理的な文章ってステキだよね。でも論理的過ぎるとわかりにくくならない?そもそも「あー論理的な文章でステキ!」って感じるときって…どんなとき?

ボクは「スーッと頭に入って理解できる」文章だと思ったんだ。「スー」に必要なのは文章を読んでいて脳みそが少しも迷わないこと。このあたりは文章の書き方だよね。単なるテクニックであり方程式。

では、誰に対して「スー」ってさせるか?それは読者に対する配慮だと思った。よく言われるよね「誰に何を伝えたいか?」って。

人は様々、ボクはペンギン。背景にある経験や環境、知識レベルは違うんだ。すべての人とペンギンを平等に扱っては文章が乱れるんだ。

「誰に対して」を明確にし「スー」ってさせるか?を考え抜く作業をするのに必要なのが「客観的」なんだと思う。師匠から「読者の常識になれ!」ってよく怒られた。

人は様々、ボクはペンギン。背景にある経験や環境、知識レベルは違う。じゃ、「誰に何を伝えたいか?」となると、ボクの記事を、この媒体を読んでいる方に伝えたいってなるのよね。すると、この媒体の読者って?となるじゃない。だったら、その読者の常識の範囲で書けよってことです。

医師に対して医療用語使っても問題ないけど、弁護士に医療用語使ったら「?」ってなるよねw 逆に、弁護士も読むかもしれない!って記事内の医療用語にいちいち解説いれたら、ターゲットであるはずの医師は「はー読みにくいんだけど」ってなるねw。

客観的、客観的っていうけど、誰の視点を基にするのか?が大事って気づいた。師匠の言葉を借りるなら「読者の常識になれ!」=「誰の常識で書くのか考えろー」ってことだね。

でもこれは読者の期待が明確な専門メディアでのお話。すべからく無難にすごす(べき?)SNSでは、またまた違うんだってさ!難しいね!

そこはまたそのうちに!

ではでは。

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