これからの「tuno」の話をしよう ●意外に重いことをテーマにしてますw●

※自伝ではないです。完全フィクションです。

吾輩と語る猫には名前がないが、ボクというペンギンにはtunoという名前がある。別に特殊なことではない。空飛ぶ石を身に着けて落下してくる少女や、走高跳の世界記録以上の高さからオーバーヘッドキックを決めてくる少年の方がよっぽど特殊なのである。

ボクは「ふ化器」という器の中から誕生した。どうやら親と呼ばれる存在が卵を温めることを放棄したらしい。でも何も困ることはなかった。飼育係と呼ばれる人間に大事に育ててもらった。調教師と呼ばれる人間と遊んでいるだけで魚をもらえた。

ちなみにボクが食べているのは魚の中でも青魚。その頃ボクがいた水槽の斜め向うの方で自由気ままに泳いでいる奴らと同族らしい。彼らとボクのエサとの違いは未だにわからない。同族なのに何があってこんなに差別されているのだろうか?ま、ボクにとっては、エサがもらえればどうでも良い話なのである。

「その頃」と書いたが、ボクは1年も経たないうちに、同じ風貌をしていた連中と一緒にいた水槽から出された。まあ、人間でいうところの出世だ。他のチビ連中が親の中でもメスの方、母親と区分される存在と遊んでいる間、ボクは調教師と遊んでいたのだから当然である。

水槽の中で同じ風貌同士が遊んでいても、ガラスの向こう側でボクらを見ている人間に喜ばれるだけである。彼らを笑顔にすることはできても、エサはもらえない。

ただ、後で知ったが「入場料」というやつが間接的にボクらのエサとなっていたらしい。でも、それもまた出世したボクにとってはどうでも良いことなのである。

これからボクの出世話を自慢することになるのだが、ひとつ補足しておく。この水槽の中にはボクの父親と母親という存在がいた。でも同じ風貌をしている連中が50羽以上いたから、結局のところ、どいつかわからないで終わってしまった。飼育係はボクをカワイソウだと言っていた。でもカワイソウの意味もわからなかった。

ボクがまだ白い羽毛に包まれていた頃、ボクと同じ白い奴が、黒い奴と寄り添っているのを見て不思議に思ったことはある。でも不思議に思っただけ。飼育係は「愛情」って言葉を発していたが、そもそもふ化した時からそんなものは知らない。モノの価値なんて一度手にした奴らだけが知るもんなのだ。ボクみたく体験したことがない奴には、これまたどうでも良いことなのである。

だいたい、その「愛情」ってモノから離れられずに芸を磨けなくて、あの水槽で一生過ごしている奴らがたくさんいる。くだらない。芸を磨けばイワシだけじゃなくサンマも食べることができるっていうのに。あいつらはサンマの美味さを知らない。

ボクは白い頃から「愛情」の代わりに調教係から「芸」を教わった。調教師に教わったことをチャンとやると、水槽の中では1日に3回しかもらえないイワシをその都度もらうことができた。たまにはサンマも。嬉しかった。

黒い奴と寄り添ってガラスの前の人間に笑われている白い奴らは、時に、別の黒い奴に自分が食べられるはずのイワシを奪われる。しかも寄り添っていた黒い奴は何も抵抗しない。見ているだけ。いや、むしろ自分の分を必死に確保している。

この光景を傍(はた)から見ていたボクにとって、「愛情」よりも「芸」じゃないの?と思ったことは、誰も否定できないはずである。だからボクは飼育係が言う「カワイソウ」ではないのである。

さて次回はボクと同じ親に放棄され、しかも障害を持つ兄ペンギンの話をしようか。

※2015年4月4日、下記タグ追加

#ホメテクレ  

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