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入院してました!

タイトル画は気にしないで(笑)

14-22日の入院中からたまにココに記録したりしてましたが、改めまして。自分自身が今後忘れないように、そしてこういう病気?を知らずに手遅れになる人が出ないよう役に立つかも、という意味も込めて、一ヲタクの今回の入院ドタバタ劇を書き残すコトにします。

①遅すぎる前ぶれ
まず、あれ?左目が見えにくいな??って思ったのは、1月9日土曜日です。疲れ目だな。と思いながらも連休の10.11日と未視聴の溜めていた動画や番組を、目をこすりながら見てた。(←今考えると怖い)

そして連休明け12日、仕事してても明らかに左目が見えにくくて、眼科に行った方がいいかな?と思うも、火曜日は夕診がないので明日行こうと思った。そして13日水曜日仕事中、さらに視界が霞む(メガネ汚れてる?みたいな感じ)ので大丈夫か?と思い、試しに片目ずつつぶって見てみたら、左目の右1/4くらいが真っ暗だった。え?え?何コレ?

慌ててネットで調べる。視界の欠損・一部が真っ黒、で検索すると、一発ヒットで出てきたのは緑内障だった(結果私は緑内障ではなかったが)。緑内障は治らない。どうしよう。と思いながらとりあえず市内で緑内障に強そうな、評判のいいクリニックが自宅最寄り駅にあったので、帰りに寄ってみた。

②13日:判定
そこで受診した結果ドクターから出た言葉は意外なものだった。ド「網膜剥離やね」私「え?」ド「目の奥の網膜が破れて剥がれてる。紹介状書くから明日朝にでもすぐ行って。緊急手術になると思うわ。入院やね。」私「え?入院?💦すぐですか?」ド「現時点でギリギリやで。もうレーザー治療が出来る状態じゃない」私「どれくらい入院ですか」ド「2週間!!」がーん。

③準備
この時点で私は、思ったよりも大変な状態なのはわかってた。ただ、実感がなさ過ぎて病気の怖さよりも、緊急手術・入院という事実への不安の方が大きかった。仕事、仕事どうしよう。2週間。てかちょっと待て、20日Grandeur発売やん!番宣ラッシュやん!全録…全録8日間しか保存されない!2週間なんて録れないどしよう!いや宅配!Grandeurめちゃ届くやん!←呑気か

とにかく家に帰って、毎日ヲタゴトで情報や録画などやり取りしてる友達に連絡をした。急に音信不通になると心配をかけるから、伝えた。そしてちょっと前に入院した友達に何がいるかを相談。双方の方共アドバイスめちゃめちゃもらいました。同時に姉に連絡(これが一番気が重かった。絶対しぬほど心配するから、あえて最後にした。)

その後当分まともな食事が出来ないだろうから、しゃぶしゃぶを作って食べる(呑気)それだけでもう10時くらい。その後ふろって、入院準備、何かあった時のために部屋や台所を片付けて、その後先2週間の間考え得る限りの番組を録画予約、その後出演情報が出るものに関してはいつも録画で世話になってる友達にやんわりお願いした。ゴミも出して結局寝たのは3時だった。

④14日:病院へ
翌14日、会社に出勤し、社員から「網膜剥離て!ボクサーかよ!」というあえてのツッコミを入れられつつ(ボクサーじゃなくてもなります)小一時間で急ぎの仕事だけ片づけて、姉が車でおっきい病院に連れて行ってくれた。

外来で受付し、紹介状が開封された後はもう緊急ということで順番度外視で検査に次ぐ検査。8種類くらいしたかな。その後PCR・抗原検査。これの陰性がハッキリしないとオペ室に入れない、入院も出来ない。この結果が出るまでの間に、心電図や採血、写真撮影。

全部終わった頃にはもう15時頃だったけど、それでも全ては超速で済まされた。看護師さんがハッキリ「焦ってます。」と言ってた。とにかく何が何でも今日手術しないとヤバい状況らしかった。それは私にも何となくわかりかけていた。何故なら、検査を重ねる時間経過の中で私の目はどんどん見えなくなって行ってたからである。昨日より今朝、今朝より正午、正午より今、どんどん私の左目は周囲が見えなくなっていった。この時ようやく自分の状態のヤバさを感じ始めてた。

⑤病状説明
検査の最後に主治医と別にオペの執刀医から話を聞く。「あなたは昨日受診したところで、もうギリギリの状態だと言われたと思いますが、それはあくまで昨日の状態です。もう今ギリギリを超えてます。手術の質も、昨日考えられたものと今では全く違うものになります。正直どこまで治るかわかりません。網膜が黄斑(※1)の位置を超えてべろんと剥がれてます。これ少しでも遅かったら失明でしたよ。」

失明寸前………いやヤバいのはわかってきたけど、唐突過ぎてどこかで何でこんな事になったという混乱の方が大きかった気がする。

網膜剥離というのは、眼球を覆っている薄い膜なんだが、カメラで言うとフィルムの役割をしていてそのフィルムが破れる、というか絵で見てもらった方がわかりやすいので、病院でもらった冊子に載っていた下記の絵を見て下さい。

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そして次の絵が眼球の断面。本来なら円の内側に沿って張り巡らされてる網膜が剥がれて行く病気です。※1)上下の中央辺りにある黄斑という部分まで剥離するとどんどん目が見えなくなります。私の状態は、前日は黄斑の直前まで剥離してました。が、オペ直前ではもう黄斑を通り越してべろんと剥離してる状態でした。

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この状態の手術というのは、大阪府下では2件の病院でしかしてないらしいです。白内障や緑内障の手術のように、20分くらいの日帰り手術というのとも違い、オペ時間も治癒にかかる時間も長くなる。このオペを受ける人は1万人に一人くらいの割合だそうだ。

⑥オペへ
執刀医の説明の後、大急ぎで病棟へ上がり、術衣に着替え、左腕に点滴、右腕に血圧計を巻かれ、説明を受けながらすぐに車いすでオペ室へ。オペ室のドアを入る時初めて、混乱よりも現実なんだという実感が湧いてきた。

オペの内容は下記の絵のような感じ。後で承諾書を見てみたら「水晶体再建術・硝子体茎顕微鏡下離断術」となってました。(何となく下記絵参照)

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オペ室に入ると椅子に座る→その椅子がリクライニングされ手術台になる。顔が何かによってがっつり固定され、その上から器具がはめられ、布が被せられて何も見えなくなるが、その後手術する左目部分だけが覗き窓のように開き、手術が始まる。

15:45手術開始。
まーーーこの辺はあまり詳しく書かないが、目薬状の液体の麻酔(これは手術中何度も追加される)と、その後眼球に注射による麻酔(液体麻酔で麻痺してますからね~って痛いわ!これまじ痛かったわ!)をしての施術。

全体としては痛いというより気持ち悪さ、メンタルがしんどかった。ずっと意識がある中で、何となく何をされてるかがわかる。何かの器具が眼球に近づいてくるかがわかるんですよね。とにかく早く終わって下さいと思いながら過ごした。

(ここで余談。私は喘息持ってます。その日は別に具合が悪かったワケではないが、緊張してるせいか咳が出そうになる。術中3回出た。1度目の時ドクターがビックリして「あっぶな…!!間一髪やで!あかんで!」いや出ると思ってなかったから><。なんだけどそれで済む問題じゃない。その後は申告制になった。そりゃそうだよな顕微鏡で細かい毛細血管避けてやってるのにぴくりとでも動いたらどんな事になるか。先生本当にすみませんでした。。喘息持ってる人、もしくは喫煙者の方は本当に気をつけるべし。)

「よっしゃ!!終わった!」というドクターの声で何とかオペが終わった時しぬほどホッとした。と同時に時刻を聞いた私は緊張してるワリに冷静だった。

17:20終了(1時間半ちょいか・・・)

⑦翌8日間の入院生活
その後はもうアレです。手術で入れたガスが抜けるまで、アルミ製の眼帯をした状態で、うつ伏せで過ごすコトになるわけです。(下記絵参照)これが辛かった。手術前のドクターも「はっきり言ってこれが一番辛いらしいですね」と言ってたくらい。

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これで2日ほど過ごし、起きてる時もご飯食べてる時も首は90度下向きです。3日目からは寝てる間は右向きもOKになり、ここから各段に楽になりましたが、うつ伏せ生活ですでに腰も首もバキバキになってたのでその痛みで寝れなかった。起きてる間は下向き生活続きましたし(7日目まで)

うつ伏せ生活はしんどかったけど、体はむしろ入院中のバランスの取れた食事(しかもこの病院の食事どれもわりと美味しかった)と、9日間の禁酒・禁煙によりとても健康体になっておりました。

ただ、網膜剥離は少しのばい菌も気を付けなければいけないので、病棟から全く出る事が出来ず、売店にも行けなかった、洗顔洗髪は当然無理、日に3回ある病棟内での診察と、日に4回ある目薬(看護師さんが差しに来る)と体温その他の確認以外、はただただうつ伏せに寝てただけです。コロナで面会謝絶ですしね。

↑ココ何故囲いが出来たのかわかりません💦(ブログ使い慣れてない)

うつ伏せ生活については、先日の「記録②」に画像に出ております。良かったら見てねかわいい人も映ってるので←

⑧1月22日、退院。
やったーーー2週間の予定が9日間で済みました。病院側さんが適切な治療をしてくれたのが1番、大前提ではありますが、自分自身も治すための事以外は何も考えず「無」で過ごしたのも良かったのかな。

Snow Manのデビュー記念日に間に合った!何よりもこれなら全録も残ってる!Grandeurの再配達も可能。帰宅って10数枚の不在票と格闘して疲れました(笑)

なんて呑気な事言ってるようですが、同時に仕事も心配だったのでホントにホッとしました(T▽T)

現在家では、うつ伏せor横向きで寝てます。通常通り上向いて寝たり生活出来るのは、退院後1週間目の受診以降になるそうです。(洗顔洗髪入浴も)

↑これはガスが抜け切るまでなんですが、すでに今ガスはほとんど抜けてます。(視界に黒くガスのカタマリが浮いてるのが見えるのでわかる←これが現在の視界をジャマしてる)視力が回復安定するまでは数か月かかるそうで、日に3回×3種類の目薬と消毒をしつつ普通の生活です。

って長いな!!ここまで読んだ人いるんだろうか。

今回一番怖かったコトは、一歩遅れていたら失明してたと言われた事。そこまでになるのに全く気付かなかったという事実。これを読んでくれるであろうヲタ友たちに言いたい。目を皿にしつつ日々録画チェック、編集、情報チェック、視聴に次ぐ視聴、眼精疲労かな?なんて思う事も多いと思います。

けど、眼精疲労で済めばいいけど私はそれで済まなかった。どうか皆さま、視界が歪むな、めちゃ視力落ちたな、視界に何か浮遊してるななど感じたら、一晩寝ても治らなかったらどうか眼科に行って下さい。何もなくてビタミンの目薬貰えるだけでも良い事だし。

私自身、数日前から目が見えにくいと書きましたが、今考えるとそのもっと前から思い当たる予兆のようなもの、ありました。でも、顔面神経麻痺の後遺症かなと思ったり、結局、寝不足、眼精疲労で片づけてました。怖いです。まぁお若い方は強い近眼でもなければ、そんなにならないとは思いますが、いやでも若い人もなってる人いるしね。

私も、今回の事は忘れずにいようと思います。

てなコトで恐ろしく長くなりましたが最後にーーー。

今回の入院に関して調べてくれたり、たくさんのアドバイスをくれたり、留守の間の好きな人たちの情報を全部まとめてくれたり、録画はどーんと安心してと請け負ってくれたり、宅配の再配達期限や転送可能かどうか調べてくれたり、Grandeurや届くヲタ物の転送受取を請け負ってくれたりなどetc・・・本当に助かりました。オカゲでヲタクゴトは全て忘れて入院生活を送れました。

入院の間も、退院するまで数々の気遣いや協力をしてもらい、もう感謝しかありません。今回は時間もなく、一部の人にしか伝えてなくて、忙しくなるとだけ半端に言って消えた事で心配かけた人、生存確認してくれた人、心の中で心配してくれいた人、本当にすみません、ありがとうございました。

これを機に生活も少しずつ変えて行くつもりです。どこまで視力が戻るかわかりませんが(多少の歪みは残る)大事に至らなかったのは自分だけじゃなく色んな人のオカゲだと思ってます。

あと、最後の最後になりましたが、何よりも腕の良いドクターと態勢の整った病院側さんの対応、そしてコロナ禍で手術したくても出来ない人が山ほどいる中で、緊急手術が叶った私はとても幸運だったと思っています。本当にありがとうございました。


追伸:入院で役に立ったもの、気付いた点、あと禁ヲタゴト禁煙禁酒その他で思った事などネタ的にその内書くかもです!最後まで読んでくれた人、ありがとうございます!お疲れ様ですm(*_ _)m

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