見出し画像

雨上がりの空

 雨上がりなのに天候不順を知らせるいわし雲が広がっていた。
また、雨が降るのかなと空を見あげているうちに雲の形が変わりはじめた。

 
 今日は場所を隣町のスーパーの駐車場に移動してそらを見上げると、想像しない小さな雲の集団が現れていた。
 ”こんなところまで来て空を見てるの”と声をかけられた。顔見知りの女性だった。笑いで応えると”一つのことに夢中になれるって素晴らしいわ”と
いわれたが、素直に受けとめていいのか悪いのか苦笑い。

 空と雲には山登りの際の「観天望気」で身近に感じていたが、雲にのめり込むようになったのは荒木健太郎さんの著書「雲を愛する技術」を読んだのがきっかけだった。

何を見てるかの想像力の世界

 いわし雲・うろこ雲といえば雨の前兆だとか、天気が崩れる兆候といわれているが、変転としているこの雲には寄せ集めというか摩訶不思議な雲の霊が集まっているようだ。

 目で直接見ても適格にとらえきれないが、レンズを通して見ると背筋がゾォーとするような姿を見てしまうことがある。怖さ見たさで雲を見るのではないが、雲の一つひとつに人間や動物の姿・表情があり、彷徨う怨念というか霊魂というか、見る怖さもありながら、その怖さよりも雲を見る楽しさを強く感じてしまう。

 晴は晴れの雲、雨は雨なりの雲、厚い雲から薄い雲、十種類の雲という選別がある中で、その雲の種類にそぐわない雲を見る楽しさがある。

 十種類は型にはまったもので、人間でいえば形式にとらわれた融通のきかない堅物の姿そのものを見るようで面白さがなく魅力もない。型にはまった人間は堅苦しい。雲も、十種類からはみ出したのを見ることが性に合っている。それがこのような写真の雲だ。

 年を重ね、人生の一区切りがついたとき何に情熱を傾ければいいか人によって違うが、家族や周囲の人たちに迷惑や嫌な思いをさせなければ空や雲にのめり込むことも良いのではないか…。

 


 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?