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見知らぬ導き人に出会う話。

普段の生活ではありえないが、きかん坊の自分が見知らぬ人の言う通りに従う時がある。言う通りにしなくても問題は無いのだが従う方が面白いという謎判断により、時折その状況に陥る。

初めての南紀への旅。熊野古道や那智勝浦を巡った後で新宮に一泊する。早朝に宿を出て近くの神倉神社まで歩いて向かう事にした。

神倉神社は崖山に社があって自然石の数百段の石段が連なった先に巨大なゴトビキ岩を祀る原始信仰が濃い神社である。

25ℓデイバックを背負い最初の鳥居をくぐって石段を登ろうとすると足が重くて全く上がらない。どうして?進んでもたった10段ほどで足がガクガクして50段あたりで息が切れて来た。後から登ってきた男性は普通にサクサク抜いて登っていく。体力の問題だろうか、この先登るにしても数百段もあるので無駄に朝から疲れる必要もないかと思い下にある拝所(登れない人用)にお賽銭をあげて次に向かう事にする。

ふと気がつくと側に見知らぬ中年女性が立っていた。「上には行かないんですか」急に話しかけてくる。

地元の人だろうかと思い、正直に答える。
「思ったより石段がキツイのでやめました」

それを聞いた女性は「余分な荷物は置いて貴重品だけ持って軽くして登れば良いですよ」と提案してくる。

まさかそんな不用心な〜と内心考えたが、
「バスの時間もあるし余裕を持ちたいんで」
と場当たり的に立ち去る理由を口にする。

すると女性は「このまま登らないで帰るんでしょうか」と聞いてくる。

適当に答えると同じ事の繰り返し。
行った方が良いではなく、行かないのかと何度も聞かれる不思議なやり取りが続く。そもそも彼女は参拝客ではないのか?特に立ち去る事もなく黙ってこちらを見ている。

今までもこういう事は多々あり、突然見知らぬ人と不思議なやり取りになる。意味のない啓示。
銀座を歩いていて見知らぬおじさんに突然「台湾の故宮博物館の翡翠の白菜エエから絶対見て」と話しかけられて見る事を約束させられた事もある。

あの時と同じで従った方が良いのだと理解が降りてくる。荷物は言われた通り下に置き再び石段を登り始めた。

しかし相変わらず足は全く進まない。先に登った男性がサクサク降りて来ている。何なのか?神社に拒否されていると云う奴だろうか?それはわからないが一度登ると決めたので這ってでも登るのだ。すでに四つん這いで登るおかしな参拝者である。

頂上のゴトビキ岩と鳥居が目に入った途端に足が急に軽くなり普通に登れるようになる。足枷が取れた感じである。参拝をして後ろを振り返ると眼下に随分見晴らしが良く、新宮の街が広がって早朝の風はさわやか。帰りは難なく降りることができた。憑物でも落ちたのだろうか。最初の鳥居に戻ると、もう中年女性は居なくなっていた。折角なら見届けて欲しかった。

この後も出羽三山に行った時も突然イベントでも無いのに行者が現れて案内をされる出来事があった。こちらとしてはどうでも良い些細な事より、もっと重大な局面で導いて欲しい。
そういう時には現れることは無い見知らぬ導き人の不思議よ。

これからも突然現れ、そして従った所で何も無いのだ。きっとそういうドラマチックじゃない星の元を歩いている。

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